ふたり回し

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憔悴ー6

アレクがまだ知らない、鏡の秘密とは。

 

  熱い光が広がり、二人の目を眩ませた。夕日が溶けて石畳の上に広がり、あかあかと輝いている。頭上から降り注ぐ西日の中、尾を引く影は空中の回廊か。その中心に目的地を見つけ、アレクは間抜けな声を上げた。
「ああ。カルラ様、やっと分かりました」
 鏡の八面体。眩しく輝く白衣の背中が、中から記憶の扉を敲く。間違いない、以前にも見たことがある。ついこの間、鏡に繋がる回廊で。だがどれだけ探っても、印象の鋭さ以外に手の触れるものがない。
「そう、これから確かめに行くのは、鏡に映った私達の姿です」
 反り返った広場を引き返し、さっきと同じ階段を登り始めるカルラ。今度は途中で交叉する階段に飛び乗り、上った先の通路を城門に向けて進む。大きなアーチをくぐった先は、鏡までの一本道だ。結局要点を思い出せないまま、アレクは鏡の前まで来てしまった。
「この鏡は、やっぱ特別なものなんですか?」
 ゆっくりと回転する、正八面体の鏡。薄っぺらい青空の上を、宙に浮いた回廊が流れてゆく。カルラは手摺に両手をつき、アレクに鏡の名前を教えた。
「これは『モナドの鏡』と呼ばれています」
 古い哲学者の話に、モナドの窓という言葉が出てくるのだという。人が主観の窓を通してしか世界を覗くことが出来ないならば、人の世界は主観の中に納まっているということになる。八方を映しつくす鏡の多面体も、同じくこの世界の縮図なのかもしれない。
「学者さんは、凝った名前を考えるもんですね」
 しげしげと見つめていると、やがて二人の姿が鏡の中に滑り込んだ。前に来た時と同じ、半透明の鏡像。だがなぜ像が透けているのかも、カルラの方が薄いのかも、アレクには分からない。違和感が追いついたのは、自分の姿を見送った後だった。
「待てよ?」
 おかしい。一体何に捕まったというのだろう。アレクは走って鏡を追いかけ、そして捉えた。身体の上に、はっきりと空模様が浮かび上がったアレクの姿。深刻な透明感が、記憶の中の慄きと繋がった。印象の正体はこれだ。今に影を重ねていたのは、カルラの鏡像の致命的な薄さだったのだ。
「これは……これが薄くなってくってことなんですか?」
 像と並んで歩いていると、カルラが鏡の上に滑り込んできた。いつの間にか、アレクは回廊を一周してしまったらしい。二人を並べて見ると、やはりカルラの方が少しだけ薄く見える。
「ええ、まだアレクさんの方が、幾分症状が軽いようですね」
 だからといって、決して安心することは出来ない。8年前から少しずつ命をすり減らして来たカルラに、アレクは数か月で追いつきかけている。今までの調子で城を探索していては、鏡に姿が映らなくなるのも時間の問題だろう。手を取ってアレクを引き留め、カルラは深々と目を見つめた。
「これからは、時々鏡を見に来るよう心掛けて下さい」
 そして探索そのものに、危機感をもって臨むように。忠告でも、命令でもない。助けを求める時でさえ、この人はもっと涼し気な顔をするだろう。アレクは鳩尾に手をあて、静かに頷いた。