名前だけ登場していた、あの人がついに初出演!
一体どんな皮算用で、兄貴はこの過大な会場を借りたのだろう。
現時点で観客席は空席率90%。
一階には対戦テーブルが50台程用意されているが、都市大会で200人が集まるとしたらDWDやゼネラルズくらいのものだ。
「神戸大会ですよ。男を含めても150人弱しか集まらないでしょ」
俺は常識のつもりでぼやいたのだが、一見自明の事柄にも安易に結論を出さないのがファインマン3世その人である。
「150人という数字はともかくとして、問題はその前提だね」
カードゲーマーの大半は、言わずもがな男だ。
1割いるかいないか分からない女だけで大会を開こうものなら、最悪参加者は10人前後。
テーブル45台を片付け、スタジアムの真ん中でささやかな総当たり戦を行う羽目になるかもしれない。
「全く逆に、カードと全く縁がなかった層が押し寄せる可能性もある。特集の載っていたファッション誌が、ガリガリコミック相当の影響力を持っていたりすると……」
それもまた極端な想定だ。
雑誌で特集が組まれていたからと言って、読者が全員一斉にカードを始めるとは思えない。
TCGをプレイして面白いと思えるかどうかにも、ホモ・ルーデンスとしての素養の有無が問われる部分があるだろう。
「結局のところ、出たとこ勝負ですか……当日受付なんて止めとけばいいのに」
あ。
間抜けな声に振り返ると、アキノリは横になり座席を4つも占領していた。
「そういえば、最近女子がカードの話をしてましたよ。カードが4枚揃わないとかなんとか」
いくら席が余っていようと、コイツの躾のなってなさはニミッツ級だ。
親の顔が是非見てみたいというが、兄は一度見たことがあるな。
あの口が悪いロン毛デブめ!
「ファッション誌と言えば、そもそもワールドがアパレル関係やね」
兄貴がワールド記念ホールを選んだのではなく、協力者に用意してもらっただけというのが、ファインマン夫人の仮説だった。
宣伝の手段といい、このキャンペーンの張り方には陰謀めいたものを感じざるを得ない。
バッグとヒールをセットで買うと強いプロモが付いてくるとか、えげつないことを言い出すつもりではあるまいな。
みんなでプレイヤーが何人集まるものか予想し合っていると、俄かにパラガスが立ち上がった。
「ボイジャーさん!」
青と緑のネルシャツに裾だけがほつれたGパン(デニムに非ず)。
オタクの国民服を着こなすこの人物こそ、カードゲーム業界最大のインフルエンサー、ボイジャーさんその人である。
やはりというか意外というか、女性限定の大会にも関わらず出会うのは知り合いばかり。
俺の『第五実験区画』も、トリシャさんの『夙川日記』も、ついでにパラガスの『ちょろあま時々ビター』さえも、ボイジャーさんのレビューがなければ零細のままだったろう。
「パラガス~元気しとったか? おっ、マッシュと3世もおるやんけ」
俺達を見つけ、破顔したボイジャーさん。
後頭部の皺にたまった汗を、一本一本、銀行のタオルで丁寧に拭いている。
「今日は応援に?」
首から一眼レフを下げているところを見ると、取材という方が的確かもしれない。
素人ばかりの大会でも最新情報を自ら出向いて収集する、正にブロガーの鏡である。
「いや、妹の運転手。アパレル誌(笑)に載ってたとかでこの間始めよった。賞品ヤバイんやって? 夏のオープン。カリバーの奴もしょーもないこと考えるわ」
パラガスの問いに、ボイジャーさんは頭を振った。
応援どころか送迎とは、妹さんもつくづく人の使い方が分かっていない。
金を積んでファッション誌に特集させたところで、斯様に無思慮無関心のなんちゃって女性プレイヤーが集まるだけだということが、あの軟派男にはなぜ分からなかったのか。
「でしょ? 金に物を言わせるなんてアホの所業ですよね! あのクソ兄貴も夏が終わるころには借金王ですよ」
漸く話が通じる相手に再会できたのだ。
この数か月抱え続けてきた義憤を、この機に吐き出さぬ手はない。
意気投合したつもりが、しかし、返って来たのはなんと裏切りの烙印だった。
「それよか、なんでお前らが女連れかゆう話や。俺なんか親子や思われとないからはよ帰れ言われてんねんで」
グループでうろついているところを、見られていたというのか。
実態は違うのだが、斯様に首をロックされては弁明も満足に出来ない。
どころか鋭い米酢の臭いに、意識まで朦朧としてきた。
「高校生デビューか、そうなんか! そのスカした頭は」
違う、違うんだボイジャーさん。
脱オタしようなどと、そんな恥知らずで愚かな考えは、露ほどにもなかった。
これはKが、そう、Kが美容師と共謀してやったこと。
俺のマッシュルームは、Kと美容師によって無理矢理刈り取られたのだ。
もし俺が同意してしまったとしても、それはあくまで口車に乗せられたからであって、決して俺の本意ではない。
そう、謂わば硯と偽り踏み絵を踏まされたようなものなのだ。
俺は断じてオタク道に躓いてなどいない。
「だったら良かったんですけど、今日は『みすまる』の常連で集まってるだけなんですよ」
スタジアムの空気がこんなに旨いものだったろうか。
パラガスの助け舟によって、俺は漸く頸木から解き放たれた。
「常連なぁ……ゆうて、女が自分でカード屋に行くとは思えんし」
事実を打ち明ければ、間違いなくもう一度ヘッドロックだ。
俺が答えに窮していると、パラガスは勝手にとんとんと話を進めていった。
「実はボイジャーさんも知ってる人がいるんですよ。ほら、あのトリシャさん」
トリシャさんは、一応ネットcarna会のヒロインである。
「星間受信機」としても、優先順位の高いネタに違いない。
「ああ、トリシャさん! 確かに、最寄りは『みすまる』やな」
トリシャさんの正体が3人のうち誰なのか、ボイジャーさんは猛烈に知りたがった。
無論誰にも責めはできないが、うっかり金髪のレイヤー画像が出回ればややこしいことにもなろう。
とうとうパラガスの手にも余り、ファインマン3世の出動とあいなった。
「ボイジャー君、モテない男にはただでさえ不自由していないんだ。ストーカーが湧いて問題にならないように、くれぐれも彼女のことは内密にね」
俺達は本人を知っているが、写真は真言を唱え出したりしないからな。
賢明な判断である。
「任しとって下さい」
今しばらくは俺達だけの特権ゆうことですな。
無念、ボイジャーさんのこんな顔は見たくなかった。
どんな顔かと言うと、つまりは描写するのがはばかられる顔ということである。
ボイジャーさん程の由緒正しいオタクが、一体なぜ。
その答えが見つかる前に、入場口からK達が姿を現した。