ふたり回し

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拒絶ー5

色々起こるけど、ニュースばかり見ていても仕方ない。

 当たり前の答えに、レフはなぜか目を細めている。これほど虚ろで生温い眼差しは、この三枚目に凡そ似つかわしくない。
「おや? おやおや? ひょっとするともしかするか?」
 問い質す間もなく、ここだけの話が始まった。前にも同じことが一度だけあったのだという。
「この間ぶっ倒れる前にも、ここはどこだとか言ってたんだよね……ちゃんと先生に診てもらった方がいいんでない?」
 目くばせの送り先は、涼し気なシアンの瞳だ。軽やかな声とは裏腹に、唇には目論見が滲んでいる。
「いいよ、アタシが付き添いで行ってあげる」
 待ってくれ。アレクは立ち上がり、レフに説明を求めた。倒れる前というのがイポリートが撃たれた時のことだとしたら、その時アレクは一人で眠っていた筈だ。アレクが倒れたのは部屋から出てきた直後だと聞かされ、益々話はかみ合わず自己申告の裂け目に嵌ってゆく。
「分かったよ。朦朧としてたから、記憶が飛ぶこともあるだろうさ。でも、今は普通だろ?」
 二人が顔を見合わせるのを見て、アレクは言葉を失ってしまった。そんなおかしなことは、何も言っていない。被験者を集めるのが容易になったという、それだけのことなのだ。見解の正しさを執拗に確かめた末、アレクはたった一つの見落としを見つけ出した。サリエルの実験が、どうしてアレクの物になるのか。
「ホントならまだ入院中だったのに、出血大サービスで戻って来てくれたんじゃないの。バチは当たらないって」
 カルラが倒れた時と、同じような症状が出たのだろうか。城の中ではなく、現実の世界で。カルラの言う通り、まだ再開には早かったのだ。二人は用事があるからとアグラーヤを押しつけ、アレクは引かれるままに薄暗い林道を歩いた。
 アグラーヤは昨日の昼前、隊員達の移送に居合わせたのだという。無数の担架が地べたに放りだされ、血と膿に染まった包帯からは死の臭いが滲み出していた。笑い混じりの心ない無駄口に笑顔で付き合うのは中々に難しく、時折いらない口を挟みそうになる。皆出払っているからか村の中は人も疎らで、囀りと葉擦れにはおしゃべりを紛らわせることさえ叶わない。
 朝方とは打って変わって、村役場の静けさは廃墟だった頃のようだ。モルタルの壁は蔦と罅を纏い、無事なガラス窓は数えるほどしか残っていない。玄関の落ち葉やガラス片が片付けられているのを見て、漸く人が出入りしているのが分かる。
「先生は、どこにいるのかな?」
 カウンターの奥にも、廊下にも人影はなく、窓の向うの世界だけがやけに眩しく、小うるさい。振り香炉のような匂いが、トイレの向い、黒ずんだ扉の中へと続いている。果たして闇雲にノックしてよいものか、迷っている内に内側から扉が開いた。
「アレク。丁度良かった、そろそろ呼び出そうと思っとったところだ」
 コルレルは付き添いを嫌ったが、アグラーヤが人に従うはずもない。
「アレクのことだよね? アタシにもちゃんと説明しないとダメじゃん」
 勝手にせい。コルレルが突き放した後も激しいにらみ合いが続いた。二人ともアレクの話を、一体どこまで聞いているものだろうか。地下道から保安局が迫って来ていたことを今更のように知らされ声を上げたアグラーヤとは違い、厳めしい老医師からは相槌さえ返って来ない。
「……そしたら、急に女隊長が仲間を撃ったんです。そこから――」
 話の核心に触れた途端、コルレルは話を遮った。
「ニコライからある程度は聞いとったが、アレク、お前さんはどうだ? 自分がダリアを動かしたと思うか?」
 ダリアの発言、兵士たちの動揺、部下への掃射と、隊を二分しての同士討ち。時折目を瞑り、数日前の記憶を一つ一つ掬い上げてゆく。
「やっぱり、俺の考えた通りの行動だったと思います」
 重々しく唸ったきり、老医師は腕を組んだままだ。面には見立てと思惑が幾重にも絡み合い、疑いや恐れにほぐすことは出来そうにもない。
「そんなことが起こるとはな……非公開の資料も少なからず調べてきたが、今の今までそんな話は一度も聞いたことがない」
 それよりも。出来ることが増えたのは、タガが外れかかっているからだ。黴だらけの机に立てた半透明のファイルから、コルレルは数枚のCT画像を抜き出した。一枚は1か月前に撮った物、もう一枚がアレクが昏睡している間に撮った物だという。
「今はもっと進んでいる筈だ……確かめようがない以上、萎縮を進行させるような真似は厳禁だ」
 場合によっては、ニコライの頼みを無視しても構わん。顔を突き合わせて凄まれると、アレクも頷かざるを得ない。何度も念を押された後に漸く解放されたものの、人心地つく間もなく俄かに腕を抱え込まれた。
「ここまで逃げてこれたのだって、アレクのお陰じゃん! 後は人に任せとけばいいんだって」
 アグラーヤが乱暴に揺さぶる度、油じみたツナギの上から甘ったるい重みが伝わってくる。万一の奇行を防ぐという口実でやすやすと入院を取り付け、自分も世話役に収まってしまう手管の、何と滑らかなことか。アジートに居た頃は、アレクの知っているどころか、想像しうる何倍も猛威を振るっていたに違いない。ベッドの縁に陣取り、地下道での出来事を事細かく尋ねながらじっと獲物を見下ろす微笑みに、アレクは身動き一つとることが出来なかった。