ふたり回し

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拒絶-11

悩ましい……

 忍び込む方法など、簡単に分かるものではない。思いがけない収穫に恵まれなければ、迷わずそう言えただろうに。レフの手土産をポケットの中で転がしながら腹いっぱい道草を食った割に、大して時間を稼ぎも出来ず中庭に辿りついてしまった。
 城の外には珍しく霧がかかり、木々の輪郭も辛うじてわかるほど。足を進める度に冷たい毛羽が頬に集り、湿った重いツナギが手足にまとわりつく。いつものベンチにカルラはおらず、中庭を歩き回ってもそれらしい影はない。いつも通り、探索に出ているだけだろうか。降って湧いた余裕に腰掛け、アレクは言い訳を練り直した。一日中検問が張られているということにでもしておけば、見舞いを見合わせる理由にはなる。アジートの仲間を裏切らずに済む。真っ白な静けさを蝶番が引っかいたのは、それから数分後のことだった。
「や、やあ。あれから、ユーリはどうしてる?」
 先んじて話題を押し付けると、カルラは首を横に振った。イポリートの後釜をこなしつつ、ユーリは以前と同様に研究施設と医療福祉機関の橋渡しを行っているという。
「ですがユレシュと接触する気配はありません。研究の内容も党が認めている心象操作や思考の誘導に関するものばかりですし……」
 つまりは全くの期待外れだ。カルラにとっても、アレクにとっても。不景気が長続きするわけもなく、薄暗い霧の中に温かな笑顔が灯った。
「アレクさんの方は、何か分かりましたか?」
 黒い瞳の輝きを身に沁みて感じながら、どうしてこれ以上の贅沢を望めるのか。コルレルの深謀を思えば、アレクの我慢などなきに等しい。小さく首を横に振り、足下を見つめたまま諦めを嘯いた。
「いろいろ調べたけど、やっぱり警備が厚すぎるよ」
 村への道はいずれも検問で塞がれ、村の中でも見回りが行われている。話せば話す程に甘い期待は色褪せるばかりで、台本通りの出まかせさえ滑らかに続かない。それでもこの場においては、嘘の方が正しいのだ。裏切ることなどないにしても、保安局がカルラを見張り、追ってくるかもしれないのだから。それに。アレクは言い訳を重ねた。
「こんな田舎を夜中にうろうろしてたら、カルラが国安に怪しまれるかもしれないじゃないか」
 当たり所が悪かったのか、カルラは目を伏せたきり中々答えようとしない。霧を吸った黒髪が冷たい頬に纏わりつき、灰色の唇は朧げに震えている。今が特別危ないだけでほとぼりはその内冷めると白い背中を抱き寄せかけたその時、霧の淵から仄暗い匕首が飛び出した。
「お邪魔なだけですか? 私が行っても」
 睨んだり叫んだりしてくれれば宥めようもあったものを、カルラは遠い目をして空々しく呟くだけだ。不意の当てつけに心当たりがある筈もなく、中身のないその場しのぎで追及を躱す他ない。
「まさか……みんなに悪いと思っただけだよ」
 アジートとは違い、保安局に見つかれば廃村は一巻の終わりだ。皆が村からの出入りを避け、家族と離れ離れになった仲間もいる。
「邪魔とか、なんでそんなこと言い出すんだ?」
 ひとしきり言い訳を並べ終え、アレクは息を切らしながら漸く核心を問い返した。精一杯の無表情は、何を覆い隠すためのものなのだろう。カルラは一度口にしかけた訴えを噛み殺し、思いのたけが冷めるのを待っている。
「アジートを出た日、アレクさんの部屋の前で待ってる人がいたんです」
 綺麗な人でしたね。カルラが見舞いに拘るのは、アグラーヤを見たのが原因か。アレクを待たずに帰った時点でおかしいと感じるべきだったのに、話を聞くまで気付かないとは一体どれだけ間抜けなのだろう。
「レフの遊び仲間だよ。ほら、診療所に案内してくれたモジャモジャの」
 指を広げて頭の上で小刻みに手を動かした。それ以上話すことがまるで何もないかのように味気ない種明かしをそつなく披露できるのだから、アレクも随分とアジートの水に染まったものだ。
「ああ、あの人の」
 気のない相槌は霧の面に溶けて消え、底知れぬ静けさが冷え切った身体に堪える。無関係を装い過ぎたか。答に窮したアレクの目の前に、思わぬ助け舟が漕ぎつけた。
「あの人はどこに避難したんでしょう」
 他所だと言えば片付くのだから、これに乗らない手などない。
「聞いてないけど、部隊と関係ない人達は色々な街に散らばったって」
 中でもオホーツク海沿いには、少なからぬ密輸業者が隠れ住んでいる。都合の良過ぎる嘘を避け、如何にもどうでも良さそうに人づての噂を繋いだ。
「ここで会えるだけでも、俺達は恵まれてるよ」
 温めようと重ねた手が、はっとする程に温かい。自分の方が冷えていただけだと気づいて、アレクは危うく呆れかけた。
「一目見るだけでいいんです。夢の外にも、まだアレクさんがいるのを確かめられたら――」
 それで私は満足しますから。カルラの願いは微かな風に震え、今にも消えてしまいそうだ。これがあの日アレクの為に一匙一匙スープを掬ってくれた手でなかったなら、迷わず振りほどけただろうに。
「俺の言う時間に、村の東側で待っててくれないか」
 望みに身をゆだねることは、不思議と諦めに似ている。輝きを取り戻した眼差しにあたりながら、身体の芯は少しも温まらない。片道の約束を交わし、白衣の背中が霧の奥に消えてゆくのを、アレクはなす術なく見送った。