あまり大したことはお話しできませんが、とりあえずいつも気にしていることを列挙してみます。
「thiaryの書き方」とは銘打ったものの、あまり偉そうなことは言えません。
常連さんはご存じのことと思いますが、私は文章を書くのがあまり得意ではないのです。
書くのも遅いばかりか、論理のつながりが途絶えたり、明らかな説明不足もしょっちゅうのこと。
それでも辛うじて読める程度に収まっているのは、いくつかの知識のおかげです。
1.起承転結は忘れよ。
起承転結は、物語のためのメソッドです。
おおよそ言って聞かせる話において、起承転結が役に立つことはありません。
日本人の多くが回りくどい話を得意技としているのは、起承転結のせいだと考えて間違いないでしょう。
それでは何を用いればよいのかというと、これは皆さんも一度は使ったであろう、英語の読解で使ったテクニックです。
英語の読解は、不自由が多い分楽をして読む技術を求めますが、論理構成は日本語においても役立ちます。
それだけなく、読解の手順を巻き戻しにかけるつもりで文章を書くことで、読みやすい文章に仕上げることができるのです。
具体的には、「概要」→「考えに至った理由・考えが正しいという根拠」→「結論を述べつつ感想なども混ぜる」の順番です。
細かいところからではなく、何を話すかの大まかな順番から考えるとよいでしょう。
絵を描くときにも、フレームから書き出すのが定石ですよね。
例)「速攻は誰でも通る道だが、卒業した後にたまに使うのも悪くねえ」(概要)
「この間、新弾の種族を速攻にしてみたら意外と面白かった」「コントロールと違ってハイテンションな感じだ」
「速攻はただの踏み台じゃなくて、ちゃんと面白いところもあったんだな」(結論と感想)
2.段落の構成
これも英語の文章風に書くと、うまくまとまります。
一番目の文は「何を話すかの表明」。ここではカッコつけて適当なことを言ってもOKです。
二番目の文は「一文目を分かりやすく言いなおす部分」。長くてもいいので分かりやすく書きましょう。
(ちなみに、外国語の読解の際は2文目を重点的に読むと段落の大体の内容が分かります)
最後の文は「大事な部分のまとめ」。段落の結論や、重大な根拠、難しい部分のチェックを行います。
問題はその間に挟まる文ですが、この部分は主に理由付けや具体化を行う部分です。
理由付けを行う場合、二文目の具体化→理由付け→理由の具体化の順番で書いてもいいでしょう。
例)「速攻はハイテンションだ」(書き出し)
「コントロールは使っててイライラすることが多いけど、速攻は使っててスカッとするな」(補足・具体化)
「俺の仲間も、コントロールを使ってる時の方が手札パチパチが速くなってる気がするんだけど」(類例)
「この違いはやっぱりデッキの姿勢みたいなものが原因だな」(おおまかな理由)
「コントロールは相手に合わせて後手で動くし、逆転するためにギリギリまで我慢しなきゃいけない」(分析・対比)
「速攻は自分から動けるし、ダメなときは何やってもダメだからさっさと投了すればいいから気楽だ」(分析・対比)
「速攻を使うと盛り上がるのは、やりたいこととか嫌なことを我慢しなくていいからなんだな」(理由の明確化)
3.譲歩の使い方
譲歩は、わざと自分の意見に立ちふさがる論拠を挙げることで客観性を演出する技です。
譲歩の後に逆接を用いて、障害を乗り越えることで、文章に勢いを与えることもできます。
文章に緩急を付ける上では必要な技術ですが、使いすぎは厳禁。
逆接を連発して論が右往左往すると、書き手の立場が見えづらくなるので注意して使いましょう。
譲歩の主な使い方は、インパクトを与えるための転回です。
まず、本当に言いたいこととは違う説を連想するような運びを用いたり、従来の間違った説を提示したりします。
それから、その考えが間違っていて、正反対のことが正しいということを説明するわけです
この使い方は、なるべく文章の早い段階で使い、自分の意見の説明に多く文章を割けるようにします。
例)「速攻は初心者のためのデッキだと思われているかもしれない」
「速攻は構造が単純だから、プレイングは単調になりがちだ」
↓
「実は、速攻同士でミラーマッチをすると、一つ一つの判断を的確にしなきゃいけない分スリリングなデュエルになる」
そして、譲歩には別の使い方もあります。
それは、論の隙間を詰める、モルタルとしての使い方です。
自説の弱点を確認しながら補強することで、より冷静で客観的な文章に仕上げることができるのです。
ですから、自分の反対意見を否定する際には、熱くならず回避する程度にとどめましょう。
例)「速攻の選択肢は限られているが」→「当然少なくても選択肢は幾つかある」
デッキを作るにも、文章を書くにも、知識を知識と意識して身につけることが大切です。
習得できるものを「センス」呼ばわりして倦厭してしまっては、身につくものも身につかなくなってしまいます。
「技術」は、決して天から授かるものではありません。
それは、人の手によって作られ、人の手によって獲得されるべき何かです。