圧縮、圧縮だぞ、私……
定食屋の中は、様々な調味料の匂いを吸った分厚い光で満たされていた。いくつかの燈台がいたいけな陰を放つ他には、照明らしいものが見当たらない。リシュンは目を細め、カウンターに知人の姿を認めた。
「パロームさん、お久しぶりです。」
リシュンが声をかけるやいなや、男は鋭く振り向いた。
「リシュン先生、ご無沙汰です。この間は、どうもありがとうございました。」
パロームは傷跡の残る頬をゆるめ、二人を手招きした。パロームは日陰者の中では珍しく分別のある男で、リシュンも一目を置いている。
「いかがですか、その後は?うまく片付きましたか?」
リシュンはパロームのとなりに腰掛けた。シャビィもリシュンに倣ってみたが、この店の椅子はシャビィには小さすぎる。シャビィの重さに耐え兼ねて椅子の上げるうめき声に、チャム人の店員がかけつけた。
「いらっしゃいませ。ただいまお茶をお持ちします。」
パロームが店員に手を振ってからかうと、店員はふくれっ面で小さく舌を見せた。
「そら、もう。先生の言うとおり、あの女と手を切って正解でしたわ。今思えば、あれは本物の疫病神だ。俺と別れた途端、大店のボンボンのところに転がり込んで、今じゃ店が傾くくらい貢がせまくってるって話ですよ。」
リシュンは両手で口を覆って、大げさに驚いてみせた。他ならぬそのボンボンの母親からリシュンは結構な大金をせしめているのだが、パロームには知る由もない。
「それはひどい、ぞっとさせられますね。」
パロームはなぜか、締りのない顔で相槌を打った。
「危うく俺もひどい目にあうところでした。こうして呑気に飯食ってられるのも、先生のおかげですよ。」
リシュンは横目で、戻ってきた店員の様子を確かめた。カウンタ-で小ぶりの茶杯に煎茶を注ぎながら、リシュンをちらちらと窺っている。
「あの時と比べて随分と顔色が良くなりましたね。男ぶりも上がったのではありませんか?」
店員の手元が狂い、茶をこぼしてしまったのを見て、リシュンは含みのある笑顔で付け足した。
「……ですが、それだけでは身なりが小ぎれいになったことの説明にはなりませんね。」
強面に照れ笑いを浮かべながら、パロームは髪をかき回した。
「いや、バレちまいましたか。実はあの後、とある女のこと知り合いまして。いい娘なんだな、これが。郷のお袋と弟たちのために、なるがに出稼ぎに来たってんで――」
話に付いていき損なって、シャビィは慣れてきた目で店の奥を眺めていた。慌ただしくネギを刻む店主、湯気立ち上る大きな鍋、棚に並んだ大小の壷……その中にあるものを見つけて、シャビィが凍りついたそのとき、店員が大きな音を立て、カウンターに茶杯を叩きつけた。
「お待たせしました。ご注文を伺いましょう。」
店員の引きつった笑顔に、リシュンは同じく笑顔で応えた。
「私はエビの焼きそばを……これがその娘さんですか?」
リシュンが目配せすると、パロームは頷いた。
「ええ。……カマニ、ちゃんと挨拶しろよ。この御方はリシュンさんつってな、うちの頭も頼りにしてる、そらぁすげえ占い師の先生さ」
眉間にしわを寄せ、じっとリシュンを検めてから、カマニは渋々挨拶した。
「カマニと申します。パロームが何やらお世話になっているようで、恐れ入ります。」
リシュンは左右に手を振って、謙遜してみせた。
「いえいえ、二、三度筮を立てさせていただいただけですよ。いつも歓楽街で辻占をしているので、悩みが出来た時はいつでも来てくださいね。」
それはどうも。調子を崩されたカマニは、仕方なく仕事に戻った。
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