今回は戦い詰めになりそうな気がせんでもないでもないです。
下火になった夕日に向かって瓦礫の間を進んでゆくと、やがてワノンちゃんがパーティー会場を見つけました。おじさんは船と呼んでいましたが、双眼鏡に映るのは七色にライトアップされた大きな庭付きの宮殿です。ところどころに昇る黒い煙の影だけが、事件の匂いを風に乗せ、私たちに伝えてきます。
「お城です! 虹色のお城が動いてます! あんなきれいなお城で旅をして、毎晩舞踏会だなんて、おとぎ話みたいですね!」
船の中に向かって叫ぶと、ベルイーヌさんが相槌を打ってくれました。
「大当たりですよ、ユニスちゃん! 旅行会社のキャッチコピーが、まさにそんな感じです! ナパパホテルグループの所有する世界最大の超豪華客船、ナパパパレス。今回のイベント用に貸切らせてもらいました」
なんだかベルイーヌさんも乗り気になってきたみたいで、何よりです。私たちがホテルの話をしていると、下からフィンカちゃんが口を挟みました。
「聞いたか、ルイエ。貸し切りのバーゲン会場だってよ。ユニス、接舷できそうなところを探してくれ!」
フィンカちゃんはオムライス号をナパパパレスに寄せ、並走を始めました。近づいた夢のお城には、大小の野良ギアが何十匹も鈴なりです。
「すごい! 野良ギア取り放題ですよ! 接舷できそうな……ありました! 左舷後方、低いところにバルコニーがあります!」
オムライス号はスピードを上げて、おしゃれなカフェの軒先にノーズから突っ込みました。白塗りのテーブルと血まみれの死体を蹴散らし、店内の野良ギアにアンカーを打ち込めば、出撃準備完了です。
「戦わずして1キルやなんて、久しぶりに幸先ええんとちゃう?」
カンガルーの死体からコアを切り出しながら、ワノンちゃんが口笛を吹き始めました。この調子でガンガン集めれば、弟たちをイヒチカの学校に通わせてあげられるかもしれません。
「野良ギアを排除しながら、ホテルの中心部を目指そう! ここから先は連戦だけど、覚悟はいいね、みんな!」
私たちは掛け声に合わせて走り出し、階段を駆け上がって広いデッキに躍り出ました。客室のあるホテルの建物を囲んで、コンサートホールやギャラリー、温水プールの建物が青いライトの中に浮かび上がっています。世の中にこんなものがあるなんて、郷にいたころの私には信じられなかったに違いありません。私もいつの間にか、クールな都会人になっていたということなのでしょうか。
「おったえ!」
玄関の前に一羽のタカを見つけ、ワノンちゃんがルイエちゃんにカードを張り付けました。私たちに気づいたタカが大きく羽を広げて飛び上がると、足元から大きなヒョウタンが姿を現しました。
「そうこなくっちゃな! 力比べといこうぜ!」
フィンカちゃんはギアの出力を上げて、いきなり野良ギアに突っ込みました。何度当たって砕けようともスタイルだけは絶対曲げない、恐れしらずなフィンカちゃん。フィンカちゃんがまっすぐ突き進んだ先には、一体何が待ち受けているのでしょうか。
「フィンカ、いきなり突っ込んじゃだめだ!」
野良ギアも野良ギアで、避けようとする素振りさえ見せません。こんなのが相手なら、ルイエちゃんの心配も杞憂で終わってしまいそうです。フィンカちゃんはさらにスピードを上げ、野良ギアに襲い掛かり、そして猛烈な勢いでヒョウタンの口に吸いこまれてしまいました。
「なんやそら!?」
目の前で起こった鮮やかなイリュージョンに、ワノンちゃんが突っ込みました。自分よりも大きかったフィンカちゃんのギアを収めたというのに、ヒョウタンの勢いは一向に衰えず、植込みの葉っぱと一緒に私たちをぐいぐい吸い込もうとしています。
「ある装置が外部の物体を吸い込み続けるためには、通常反対側から内部の空気を排出して低圧部を作り出す必要があるよね。でも、口が一つしかないヒョウタンでこの方法をとることは原理的に不可能でしょ。フィンカのギアが吸い込まれたことを合理的に説明するためにも、私たちは発想を変えなくてはいけないってわけ」
私たちが慌てふためく横で、ルイエちゃんは眉ひとつ動かさず、すさまじい早口で後付けの設定を語り始めました。
「合理的って、あんたも見たばっかやろ、フィンカがあの小さい口から、マンガよろしくスッポンゆうてヒョウタンに吸い込まれたとこ! まともな理屈が通用するなら、大きいもんが小さいもんの中に入るはずがあらへん!」
ヤシの木につかまりながら、ワノンちゃんが言い返しました。私も頷きたいところですが、ヒョウタンに髪が引っ張られ、頭を動かすこともできません。控えめに言っても、禿げそうな痛さです。いや、この痛さ、今にも禿げそうです。
「そう、この現象を理解するうえで最大の障害は、空間が不変な量であるという見えない前提さ。吸い込まれる直前、フィンカが小さくなったように見えたのは、決して錯覚なんかじゃない。ヒョウタン内部の空間が、本当に歪んでいるんだ。あらゆるものを取り込んでしまう、とんでもない重力によってね。そうだとすれば、ヒョウタンに吸い込まれたものは、今も到達不能な特異点、果てしない重力の井戸の底に向かって、自由落下を続けていることになる。いいね、ワノン。フィンカを助ける方法はただ一つ、野良ギアを、外部から破壊する他にない!」
今までにない長台詞を噛むことなく唱えきると、ルイエちゃんはデッキの鉄柵にワイヤーを伸ばし、ヒョウタンの重力圏からするすると逃げ出しました。大外を回って後ろを取ろうとするルイエちゃんを追って、野良ギアの狙いが私たちからそれていきます。
「食らわんかい!」
ワノンちゃんの投げたカードは吸い寄せられて大きなカーブを描き、タカの首を後ろから一発で切り落としました。ナノマシンの結合がほどけて、ヒョウタンはじわじわ溶けはじめ、たまった空気を吐き出しながらくるくると回っています。空中に投げ出されたフィンカちゃんを、ルイエちゃんが間一髪で捕まえました。
ついでにコアを手に入れた私たちはホテルのエントランスホールに突入し、敵を蹴散らしてエレベーターに向かいましたが、どれも止まってしまっています。仕方なく2階のドアからバルコニーに出た後、私たちは表の階段を使って5階の広場まで一気に上りました。
「しっかし、乗客はどこにいるんだ?」
ライトアップされたホテルの本棟を見上げながら、フィンカちゃんはおでこの汗をぬぐいました。あまりお客さんを見かけないということは、みんなどこかに隠れているのでしょうか。
「おっさんはパーティーゆーてたから、どっかのホールに集まってるんとちゃう? 見ーな、18階にスカイホールゆーのがあるえ」
明かりのついた案内板を見ながら、ワノンちゃんが答えました。暗くなってきた空を見上げると、本棟の真ん中からは、確かに大きなガラス張りのそろばんがせり出しています。
「でも、すぐに見つかっちゃうし、パーティー会場だとしても余所に逃げるような……」
ルイエちゃんは首をかしげましたが、私にはワノンちゃんの気持ちがよくわかります。
「あそこから見渡したら、きっと船の様子がよく見えますよ。足元にデッキの明かりがキラキラして、プールがぼんやり青く光って……見渡す限り地平線がずっと続いていて、星がすごく近く感じられて!」
いろいろ話し合った末、私たちは全会一致でスカイホールからの眺めを確かめることに決めました。広い夜空の真ん中を渡りながらのパーティーだなんて、今を逃したら私たちには一生縁がありません。
けれども、私たちが本棟に入ろうとした矢先に、上でガラスの割れる音がしました。ガラスの破片を弾くため、私はとっさに盾を張りましたが、これはちょっとした失敗です。
「ユニス、敵が見えない!」
ルイエちゃんが叫ぶのと同時に、蝶の盾をつきやぶって火の玉が落ちてきました。白熱する鎧を着込んだ大きなアルマジロが、私をじっと見つめています。アルマジロが再び丸まろうとするのをルイエちゃんはワイヤーで邪魔しようとしましたが、絡んだワイヤーが一瞬で燃え尽きてしまいました。
「この!」
フィンカちゃんが突っ込むと、アルマジロは猛スピードで転がり出しました。芝生に炎で弧を描きながら走り回るアルマジロは、なかなか捕まえられません。私達は身を寄せ合って、盾を張ったままホテルの中に退却することにしました。
「フィンカ、こっちだ!ホテルの中まで逃げよう! このままじゃそいつを捕まえられない!」
ルイエちゃんの叫び声が聞こえていないはずはないのに、フィンカちゃんはギアにまたがったまま立ち上がり、腕をまっすぐ伸ばしてぼうっと野良ギアの動きを追っています。突然何を思ったか軽くギアを走らせ、ターンしながら横に寝かせると、フィンカちゃんは側面のパイプをつかんで、ボードのようにギアをスピンさせました。なぜかXスポーツを始めたフィンカちゃんに向かって、ここぞとばかりにアルマジロが突っ込んできます。
「あらよっと」
フィンカちゃんの動きは、何気ないものでした。スピンするギアを浮かせて、回転を縦向きに起こし、デッキにノーズを叩きつけたところに、たまたまアルマジロが飛び込んできたのです。アルマジロはあっけなく真っ二つにされてしまい、デッキの表面が弾けて、土ぼこりが上がりました。ときどきこういうことをあっさりやってのけてしまうあたり、フィンカちゃんも相当な天才肌です。
「どんなもんよ」
私とワノンちゃんはフィンカちゃんに飛びついて歓声を上げました。さすがは我らがエースストライカー、いざというときには格好よくきめてくれます。3人で手をつないでぴょんぴょんと飛び跳ねるたび、小さく尖った音が聞こえますが、そんなことよりフィンカちゃんです。
「フィンカちゃん、素敵でした! 大きくなったらお嫁さんにしてください」
「ウチもや! あんた、どうやったらあんな上手いこと決まるん?」
ワノンちゃんが尋ねると、フィンカちゃんは小さく指を鳴らしました。
「ふふん、それよ、それ! やっぱねー、なんつーかなー。センスってゆーのかなー」
気のせいでしょうか。左足が10㎝くらい地面を踏み込んだような気がしました。
「みんな、だめだ! それ以上飛び跳ねたら……」
ルイエちゃんは顔を真っ青にして、両手を前に突き出しました。ひょっとしたら、私たちにフィンカちゃんを取られてしまうんじゃないかと心配しているのかもしれません。
「ルイエ、ノリ悪いぞ、お前もこっち来いよ。今なら第三夫人にしてやるぜ」
フィンカちゃんがからかうと、ルイエちゃんは唇を震わせながらふらふらと私たちに近づいてきました。
「何それ? 分かんないよ、フィンカ。一番だって言ってた癖に、私だけだって言ってた癖に!」
ルイエちゃんは私たちを思いきり突き飛ばし、私たちが倒れると同時にひびだらけの広場がカタカタと震えだしました。恐れを感じないのは、勇者ではなく、愚か者に過ぎません。私たちはもっと、ルイエちゃんに気を付けているべきだったのです。
私たちは悲鳴を上げながら、崩れゆく屋上と一緒にホテルの中へと落ちていきました。