ふたり回し

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ハック&スラッシュに文法はいらない

ビブリオ教団の巻、いよいよクライマックス。

「説法はいらない」より続く


 教祖さまは手を振りかざし、息せき切ってありったけの声で叫びました。

「神は私たちのうち、最も小さく、最もか弱いこの乙女に、最も偉大な信仰ともっとも深い知恵を授けられたのです! 私たちの経典に潜んでいた傲慢を除くため、この娘を遣わされたのです!」

 いきなり教祖さまが無茶苦茶を言い出すので、私たちだけでなく、信者さんたちも言葉を失っています。教祖さまはしばらく息を整えていましたが、落ち着くとマイクがあったことを思い出しました。

「この娘が改めたのは、『我々と共にあり給え』と書かれた節の『に』という一文字に過ぎません。この『に』という文字の代わりに、この娘は『は』という文字を選びました。これが一体何を表しているのか、皆さんはお分かりですか?」

 私はギュッと目を瞑りました。やっぱり『は』は間違いだったのです。ちらりとルイエちゃんに目をやると、ルイエちゃんは「待機」のサインを出しました。

「それは帰依の心です。我々は報いではなく、帰依の心によって高みに導かれるのだということを、この娘は我々に思い出させてくれました。全ての書を愛する者の代表として感謝を捧げます」

 ありがとう。赤い部屋に、原因不明の大きな拍手が巻き起こりました。この人たちが何をありがたがっているのかは、まさに神のみぞ知るところです。私はとりあえずお辞儀をしてからしました。

 私が講壇のわきで見守る中、ワノンちゃんとルイエちゃんは順当に行をパスしました。教祖さまが答えをばらしてしまったので、迷うこともありません。残すはフィンカちゃんただ一人です。

 ところが、フィンカちゃんが置いたハンコを見て、教祖さまが俄かに怒り出しました。フィンカちゃんは、何か間違って『あリ給え』以外のハンコを置いてしまったのでしょうか。私たちは小さく身構え、成り行きを見守りました。

「一体なぜ『あり給え』を選んだのかね? これでは文意が成り立たなくなってしまう」

 教祖さまは何が気に入らないのでしょうか。「あり給え」は確か正解のはずです。フィンカちゃんも納得がいかないようで、教祖さまに言い返しました。

「『あり給え』だろ? じいさんも『共にあり給え』だって言ってたじゃねーか!」

 フィンカちゃんに噛みつかれて、教祖さまも大きな声で怒鳴り返しました。

「君は何を聞いていたのかね! 『に』を『は』に換えたのは、『共にあれ』と願うばかりではいけないと気づいたからだ。ならば、この動詞『ある』の2人称単数接続法未来形『あり給え』は3人称複数現在形『あります』でなくてはいかん!」

 ちゃんとやったはずなのに、フィンカちゃんは私のせいで完全に引っかかってしまいました。私があの時『に』を選んでさえいれば、こんなことにはならなかったのです。

「そんな細かいアドリブ利かせられるか! 大体てめえらどいつもこいつもいい年してよくこんなお遊戯なんかに――」

 絶対言ってはいけないことを、フィンカちゃんはさらりと言ってしまいました。もともと赤かった教祖さまの顔が、益々赤くなっていきます。こうなっては、もうごまかしようがありません。

「貴様、信徒ではないな!」

 教祖さまの一言で、会場は瞬く間に燃え上がりました。燃え盛るすり鉢の中で、緊張と恐怖と敵意が激しくかき回されています。

「捕えよ! 生きて帰してはならん!」

 会場の信者さんが一斉に講壇へ駆け寄り、口々に呪いの言葉を叫びました。ワノンちゃんの儲け話は、やっぱりいつも怪談です。どんなに凶悪な野良ギアでもここまで恐ろしくはありません。

「ワノンちゃん、赤いカードを下さい」

 信者に囲まれた講壇の上に逃げ場はなく、私はついに実力行使に出ました。

「黙れ!」

 私はありったけの声で叫びながら、体の中のナノマシンを一つ残らず絞り出しました。赤く染まった蝶の大群はあっという間にすり鉢を満たし、大きな渦を生み出して棚の本を吹き飛ばします。信者さんたちが身を屈めた隙に包囲網を飛び越えて、私たちは入口へと走り出しました。

「追え、追うのだ!」

 黒いマントの群れが、雪崩を打って迫ります。私たちは扉をくぐり、本棚の迷路の中を信者さんの声から逃げ回りました。信者さんをまくことは難しくありませんが、問題は出口です。

「また行き止まりかよ!」

 行き止まりに当たるたび、私たちは分岐まで引き返しました。わざわざ本を探しにくくするなんて、この迷路を作った人は一体何を考えていたのでしょう。

「これじゃ信者に捕まらなくても、外には出られそうにないね」

 ルイエちゃんが弱音を吐くなんて、これは相当なピンチです。私は膝に手を置いて、喘ぎながら通路を見比べました。どの道もかび臭く、薄闇の中にどっぷりと浸かっています。

ルイエちゃんは顎に手を当て少し考え込んでから、一番太そうな道を選びました。

「こっちだ、ついて来て」

 私たちが歩き出すと、突然脇道から声をかけられました。気が付かない間に、元の場所に戻ってきてしまったのかもしれません。

「君、ヒマワリの子だろ? この道を行ったところに、地下鉄に出る隠し扉があるんだ。案内するよ」

 聞き覚えのある声は、ドアマンのものでした。本当ならありがたいお話ですが、この人も信者さんです。ルイエちゃんは私たちに目配せして、押し殺した声で指示しました。

「罠だ。もと来た方へ逃げよう」

 優しいフリをして女の子を捕まえ、教祖さまに引き渡そうとするなんて、なんてひどい人でしょう。私たちは全会一致で、ドアマンから逃げ出しました。

「待ってくれ! 一緒に、朝ごはんだけでも!」

 ドアマンは性懲りもなく、甘い声で私のことを呼び続けています。あまりの恐ろしさに私は耳をふさぎ、必死に足を動かしました。

「でも、出口はどうやって見つけるんですか?」

 私が尋ねると、ワノンちゃんが伏し目がちに答えました。

「一応行きしなに、目印はつけといたんやけどな。その目印が何処にあるかが――」

 ひたすら逃げ回ってきたせいで、もと来た道に戻ることは無理そうです。結局出口は自分たちで探すしかありません。途中で行き止まりに当たったり、隠れて信者をやり過ごしたりしながら、私たちは少しずつ迷路を進んでいきました。

「ちょい待ち……あったえ、目印や!」

 しばらくして、ワノンちゃんが叫びました。戻ってみてみると、本棚の隅に蓄光マーカーで矢印が引いてあります。ぼんやりとした希望の光を見つけ、私たちは抱き合って飛び跳ねました。

「すごい、ワノンちゃん、天才!」

 締まりのない顔で笑うワノンちゃんのお尻を、フィンカちゃんが勢いよく叩きました。

「やったな! これでゴールまで後少しだ。行こうぜ!」

 そこから先は早いものです。一つ、二つ、三つ。私たちは矢印を辿って本棚の間を駆け抜け、見えない出口を目指しました。強い足音と荒い息に混じって、血の巡る熱い音がこめかみを昇ってきます。

「なんだか見覚えがある道じゃない?」

 一度通った道なんだから、見覚えがあるのは当たり前です。ルイエちゃんは今更何を言っているのでしょうか。

「私たち、戻ってきたんですよ! よかった!」

 このひねくれた迷路も、残すところあとわずかです。私たちは、とうとう地上まで帰ってこれました。太い通路に出た私たちを大きな扉が迎え、わずかに開いた隙間から、燃えるような暁の光が差し込んでいます。

「外や!」

 私たちは扉を押しあけ、赤い光の中へ飛び出しました。


「タレコミはいらない」へ続く