ふたり回し

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carna 基本コンセプト

carnaのテーマは一言で言えば「混沌と選択」です。


・明快さの為の再統合

近年、カードゲームの複雑化はますます加速しています。

タイトルが増え、ゲームに目新しさが求められた結果、様々な要素が追加されてきたからです。

装備カード、置物、カウンター、マス目、デッキ外カード、シールド、トークン……

カードのカテゴリーやゾーンの追加は、ゲームをより豪華で充実したものにしてくれます。

そしてそれはプレイヤーにアピールすべき他のタイトルとの違いそのものです。


ですが、ゲームの複雑さは良い結果だけをもたらしてくれるわけではありません。

それらは確実にゲームを難しいもの、覚えにくいもの、始めにくいものにしていしまいます。

多くのプレイヤーに愛されるためには、ゲームは単純で、覚えやすいものでなくてはなりません。

そのためにcarnaでは、ゾーンの数を減らすことから始めました。

手札をライフ代わりに用い、ダメージカウンターやライフ用のゾーンを削りました。

イコンを動かしたり手札を捨てる事でコストを払い、

エネルギー用のカードやゾーンを削りました。

置物や装備は、イコンの性能をいじれば幾らでも再現可能です。

デッキ外のカードもありません。

カードゲームは、何が出てくるか分からないから面白い。


・両義性のもたらす自由

では、carnaのゲームはルールと同様に単調なのか。

その答えに、私は自信を持ってNoと答えることが出来ます。

4つのゾーンと2種類のカードだけでも、

高度な駆け引きや奥深いデッキづくりを実現する事は十分可能です。


逆にカードの種類がたくさんあるからと言って、

プレイヤーにとってのゲームが豊かになるという保証はどこにもありません。

結局のところは見飽きた強カードが出てくるよう祈り、

決められた(そして面倒くさい)手順に従ってソリティアをこなすだけ。

そんなカードゲームが、今の世の中にはたくさんあります。


では、プレイヤーに頭を使わせるためには何が必要なのか。

それはプレイングにおいて、或はデッキ構築において生じる選択肢の豊富さです。

carnaでは手札に対し、使う、残す、捨てる、伏せるという4つの選択があります。

また伏せたカードは呪文を守る為の囮かもしれませんし、

手札への攻撃に巻き込まれないよう避難させた、フィニッシャーかもしれません。

手札に残したカードも、使う予定があるのか、単なる保険なのか、それともカウンターか。

そこには常に3つの可能性が存在します。

また、イコンの性能を見ても、中途半端なカードを強めに設定しています。

殴らせるか、守らせるか、それとも発電させるのか。

ワンパターンを減らし、プレイヤーを常に選択にさらすためです。


手札がライフを兼ねる事で、ユニットがエネルギーを賄うことで、

ゾーンが減り、そしてプレイヤーは決断を強いられる。

手札一枚を使うだけでも、プレイヤーのライフは減るのです。

あらゆるシーンに判断が必要とされる点で、carnaはプレイしがいのあるゲームです。


・運命と即興性

先の読めないゲーム展開も、carnaの目指すところの一つ。

見えていないカードがゲーム展開を大きく左右するようにしました。

攻撃する手札は重要なカードか、それともカウンターか。

裏向きになっているのはブラフの1コストイコンか、それともタイミング待ちのスペルか。

攻撃してきた際、敵はフォロアを狙っているのかどうか。

運と読み合いの境界線上にある要素を拡張する事で、carnaはギャンブルを誘発します。

「当てる」という行為が挟まる事で、偶然は非常に刺激的なものとなるのです。


また、攻撃やそれに伴ったコンバットトリックによってリソースが影響を受けることも、

carnaを読めないゲームにする上で一役買っています。

再現性の低い状況でどれだけ正確な判断が出来るかが腕の見せ所ですね。

相手次第では、1ターン目に手札を捨てまくって通常の2手目から打つこともできます。

自由と不安定さの両方が、プレイングがルーチンと化すことを拒否しているのです。


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