ふたり回し

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白亜

やはり城の中のシーンは難しい……


 ラーニャ達と遊んでいる間に、時計は時を回っていたらしい。考えがまどろみに軽く引き寄せられるたび、視界は静けさに沈み、物音が暗闇に溶けてしまう。アレクは黴臭いベッドに身を投げ、いくつも数えないうちに深い眠りに落ちてしまった。

 それからどれだけ経っただろう。ようやく足が着いたのは、深みのある赤い絨毯だった。鈍い音が吹き抜けにこだまし、足元のアーチから明るい方へと抜けてゆく。この一日で、カルラに話すことが随分と溜まってしまった。白い宮殿で保安局の内情を探れたこと、ニコライ達が西側の禁輸品を運んでいること、アレクがどうやら、密輸を助けてしまったこと。

 アレクは短いため息を追い出し、中庭に向かって歩き出した。早めに話をした方が、何かと傷も浅くて済む。回廊を回って階段を少し降りると、左脇から階段の下をくぐる通路がある。その先が、カルラのいる中庭だ。

 表の明るさに目を細め、アレクは空に手をかざした。

「お久しぶりです――目ぼしいものはありましたか? 一昨日ご案内した場所には」

 中よりは明るいものの、空には雲が混じっている。薄く積もった陰を踏みしめ、アレクはベンチに向かって歩いた。

「ご無沙汰してます……何というか、色々ありましたよ。あの後」

 早速ですか。窮屈な報せを受けて、カルラは目を丸くした。とりあえずは、収穫から話すのが礼儀というものだ。

「それが、適当にのぞいてみたら、保安局に当っちゃって……」

 アレクの笑顔には、晴れやかさが見当たらない。葉擦れの音に混じった翳りは、しかし、俄かに日差しが覆ってしまった。

「信じられない! 昨日の今日ですよ? 土日も挟んでないのに! どうしてそんな簡単に……」

 ベンチから立ち上がりカルラはアレクに掴みかかった。起きている人間を覗くためには、昼の間に寝なければならない。カルラが使えたのは、土日の限られた時間だけだったのだろう。

「整備班は、昼夜が逆転してるらしくて。ほら、アジートの中って、日の光が届かないから……」

 間近に迫った黒い瞳にたじろぎ、アレクはのらくらと言い訳を続けた。

「天使様が案内してくれた場所がよかったんですよ、きっと。俺は別に大したことしてないですし」

 カルラがアレクを離すと同時に、深く豊かな風が流れた。若々しく穏やかな緑の匂いが舞い上がる。

「何はともあれ、これは大きな前進です。保安局なら、政府内部の情報も流れ込んでくるはずですから」

 ニコライに洩らしたのも、内部情報ということになるのだろうか。アレクが足下に目をやると、芝生の中でバッタが跳んだ。この城で見かけた、初めての生き物。カルラが見向きもしないのは、見慣れているせいだろうか。

「そうですね。せっかく毎日見て回れることだし、お偉い人を見付けて、張り込むことにしますよ」

 アレクの相槌に、カルラは拍子外れの手を打った。

「毎日? ……ああ、普段から昼に睡眠をとれるのですね、地下では」

 誤解されてはいないだろうが、この言い方では来る日も来る日も自堕落に過ごしているかのようだ。咳払いをしてから、アレクは控えめに申し開いた。

「外が夜の間には働いてるんですよ、一応」

 雲の縁が太陽の熱に触れ、白く輝き出した。太い塔の壁面が光の中に浮かび上がってくる。

「別に念を押さなくとも……しかしそうなると、アレクさんのおかげで調査が一気に進むことになるかもしれません」

 聞きなれた。溜息まじりの返事。その割には、カルラの真顔も心なしか和らいで見える。

「毎日城を見て回れるなら、ユレシュを捕まえられる可能性も出て来るってわけですか」

 アレクはベンチに座り込み、雲の混じった空を見上げた。光が、広がってゆく。

「ええ、アレクさんのおかげで、見込みはぐんと上がりました。私もそちらの調査に加わりましょう」

 中庭は音もなく、曖昧な日差しに覆われた。薄曇りになれた目には、広がる芝生のせせらぎが眩しい。二人は目を細めながら緑の香りを踏みしめて、庭の奥の扉に向かった。

 白い宮殿に行くためには、螺旋階段を本来の向きで上らなくてはならない。左に捻じれた階段を上り、途中で一度外に出る。頭上を横切る塔をくぐり、石畳の上を跳ねる軽くて短いヒールの音。再び城の中に戻ると、上に向かって螺旋を描く白い帯が見えた。この階段を登りきれば、そこはもう望楼の広場だ。

 眩い雲と並び立つ真っ白な尖塔たちは、底知れない遠吠えで二人のことを呼んでいた。四角い箱の歪さに、捻じれたテラスが幾重にも巻きついている。黒髪を抑えながら、カルラはアレクを振り返った。

「案内してくださいますか。アレクさんが、昨日見つけた扉から」

 アレクは軽く頷き、始めてカルラを追い越した。

「すぐですよ。一番手前。よっぽどツイてたんですね」

 階段を上り、外に出てテラスを上へ。アレクの後を追いながら、カルラは幾つか質問をした。アジートでの暮らしはどんなものか、食い扶持には困っていないか、テロに加担するよう強要されてはいないか。上手い返しを思いつかず、聞かれたことを答えるうちに、三つ並びの扉が見えて来た。

「ここです。保安局のお――隊長の扉」

 一度手を止めてから、アレクは中央の扉を指さした。カルラが追い続ける企てに、この扉が繋がっている。

「そう、これが……お手柄でしたね」

 カルラの顔には、一点の緩みもない。静かに右手で扉を読み取り、そしてアレクを振り返った。

「この近くの扉を、手分けして回りましょう。それで高官に当らなければ、また別の場所に移動して。大体はその繰り返しです」

 私は心理学者の扉を見つけるにも、苦労したものですが。カルラが歩き始めると、冷たい艶が黒髪に流れた。

「右端の廊下から、もっと奥の広間に行けますよ。外に出ると、バルコニー伝いで宮殿の屋上に……」

 城に来たばかりのアレクが前からいるカルラを案内するという絵は、どうしても様にならない。それが長く続くはずもなく、暫くするとカルラが前を取り返した。

「慣れましたか? 地下の生活には」

 ええ、まあ。カルラについて、アレクはバルコニーに出た。

「面食らうことばっかりですよ。みんなモラルはないし、メシの度にドルを使わされるし、子供の面倒を親が見てるし……始めたばかりの仕事の方が幾らか分かりやすいくらいだ」

 弱々しいため息が、横風に攫われた。足下へ降りてゆく雲にも、心なしか力がこもっている。

「……テロリストは、まだ家族の生活を守り続けているんですね」

 家族。アジートの住人以外がその言葉を口にするのを、アレクは初めて耳にした。エカチェリーナの語ったおとぎ話が、翻った空の底から浮かび上がってくる。足下から照り付ける太陽が、眩しい。

「本当なんですか? その、昔は親子が一緒に暮らしてたって話」

 柱廊は、宮殿の玄関広間の外を巡っている。カルラは立ち止まり、広場の石畳を見上げた。

「下から見えてたのは、ここです。反ってるんじゃなくて、膨らんでる通路」

 この先が、屋上ですよ。アレクが青空を指すと、カルラは再び歩き始めた。

「……そう、私たちが子供の頃ですよ。子供の家が作られたのは。それまでは、親が子供を育てていたんです。尤も、家族のことはあまりよく覚えていませんが」

 記憶を消されたのではない。物心がついたころには、既に研究所で暮らしていたのだという。ユレシュや城のことならカルラとニコライ達の話を比べられるのだが、家族の話に限っては裏を取るのが難しそうだ。アレクは小さくため息をつき、それから明後日の方向に話しかけた。

「今日、子供達を見ていて、俺も思いました。親のいる毎日も、意外と悪くなかったのかも……」

 独り言が終わらぬうちに、目の前が白く染まった。白塗りの屋上を洗い立ての日差しが覆っているのだ。

「本当に、広い屋上ですね。これだけあれば、病院のシーツを一度に干せてしまいそう」

 屋上の中央に躍り出て、カルラは辺りを見渡した。青い空の上に泳ぐ白衣の裾がやけに眩しい。どこまでも深く温かい空、染み一つない雲、所々にそびえる塔の影。その中には、頭上に浮かぶ別の城から伸びているものもある。

「一面洗濯物で埋め尽くしたら、面白い景色になるでしょうね。ヒマワリ畑みたいな」

 アレクは目を細め、左手で庇を作った。分厚い照り返しの向こう側に、腰ほどの高さの手摺りがある。初日に確かめた、壁を下るバルコニーだ。その先にいくつか扉があることを伝えると、カルラは他の道を尋ねた。

「ああ、隅の方に、中の広間に降りる階段がありますよ。踊り場にもいくつか扉があって……」

 白い屋上に切れ込んだ陰を、アレクは指さした。

「まだ8時ごろですから、何か収穫があるかもしれません。私が階段の先を調べますから、アレクさんはバルコニーの先を見て下さい」

 二人で回れば、今からでもかなりの場所を片付けられる。アレクは短く返事をして、ゆらめく白い手摺りに向かった。