手持ちのデッキ6種、火と木のストレージ、念のためにホイル用カードファイル。
スマホ、アダプタ、定期、財布、ハンカチ、ポケットティッシュ、折り畳み傘、絆創膏。
後のものは、現地で借りればいい。
俺がショルダーバッグを担ぎ、玄関のノブに手を掛けると、早くも出鼻をくじかれた。
「Cタケ、カギ持ってるんけ?」
家でカギをかけるのは、専ら親父の仕事である。
俺もお袋も親父より早く出て、遅く戻ってくるからだ。
「お、お前が後なんだから、責任もって施錠しろよ」
そう、俺はカギをかけなくてもよいのであって、持って出るのを忘れたわけではない。
Kは玄関を見渡し、下駄箱に乗った編み籠からカギをつまみ上げた。
「ヨソもんがカギ持ってるんもどうか思うけどな……」
スマートな出発とは言い難いが、幸い時間には余裕がある。
『みすまる』でアキノリか誰かを捕まえて、運用テストをしながらトリシャさんを待てばよい。
駅のホームに出てみると、しかし、丁度連絡口から当人が姿を現したところだった。
「師匠! ご無沙汰しておりモウシタが……、随分と垢抜けた格好でオジャルナ」
やはり最初にそこを指摘されるか。
この変わり果てた姿を見られる度、俺は他の知り合いにも同情されなければならないのだ。
俺は傷心を気取られぬよう、気丈に笑って見せた。
「トリシャさんこそ、よくお似合いですよ。今日はさしずめ、兵器開発のエキスパートといったところですか」
スーツの上の白衣は、デッキ製作にかける矜持と熱意の表れだったのだろう。
トリシャさんはまんざらでもなさそうである。
掴みは上手くいったのだが、問題はその後だった。
トリシャさんが突然、Kに食ってかかったのだ。
「しかし、さぞ苦労されたことでオジャロウ。そこなお邪魔虫が一緒デハ」
トリシャさんは肩をすくめ、大げさに首を振ってみせた。
無論Kとて、売られた喧嘩を買い控えた例はない。
「ほう、誰がお邪魔虫やって?」
思えば初対面の時も、大体はこんな感じだったな。
暢気に見守っていると、トリシャさんはとんでもない話を始めた。
「K! 聞けばオヌシ、押しかけ女房の真似をして師匠をたぶらかしたというではないか!」
これは流石に聞き捨てならない。
押しかけ女房とは、甲斐甲斐しく男を世話するものではなかったのか。
コイツがそんな有難いものであるはずがないのだ。
「トリシャさん、コイツ本当に酷いんですよ。3日前に転がり込んできてから、備蓄の食糧を食いつぶすばかりで料理の一つも――」
抗議が終わりもしないうちに、隣から腕が伸び、俺の襟首を捕まえた。
「今日の晩は作るゆうたやろが! お前今ので一遍にやる気のうなったで!」
俺を締めあげ、激しく揺さぶるK。
3日も食客として君臨しておきながら、今更やる気とは恐れ多い。
関西一、いや日本一のビルダーであるマッシュがマンツーマンで特訓をつけてやっているのだ。
少しは奉公して返そうというのが常識というものではないのか。
今度という今度は、立場の違いというものをハッキリさせてやる。
「言っておくが、K、言って……」
Kの顔が陰に沈み、ホームが足下を泳ぐ。
やばい。
驚嘆に値するという意味の俗語ではなく、本当にやばい。
上腕をタップしてギブアップを申告すると、Kは漸く俺を解放した。
「……言っておくが、料理などと……いうものは……」
世界はまだ波間を漂っているが、ここで黙っては暴力に屈したことになる。
息継ぎの合間に、俺は掠れた声を絞り出した。
「……本来、女の仕事なんだからな!」
家では親父がやっているが、それが世界標準だと思ったら大間違いだ。
怠け者の口答えなど、いくらでも叩き返してやる。
上目遣いでKを睨みつけたその時、今度は背後から声がした。
「それは聞き捨てなりませんね」
前にも一度、同じパターンがあった。
「これは以前から感じていたことなのですが、武志さんはどうやら男女同権という理念を正しく理解できていないのではありませんか?」
あれは八汐さんが初めて『みすまる』にやって来た日のことである。
俺は回れ右をして、簡潔な弁明を試みた。
「いえ、これはあくまで一般的な議論ではなく、今回発生した特殊な事例についての私見でして。つまり、こちらの御影蛍16歳が事前の連絡なく我が家を訪問し、両親の不在にかこつけて滞在を続けているにも関わらず、家事への協力が殆ど見られないということなんですね。当方といたしましても御影さんには大会の準備にあたって惜しみない支援を行っているわけでして、多少なりとも日常生活に貢献して頂けないものかと……」
八汐さんは何の反応も見せず、冷ややかに話を聞き続けた。
話せば話すほど窮地に追い込まるばかりで、全く生きた心地がしない。
暫くして漸く待ったが出たが、八汐さんの論点はフェミニズムと別のところにあった。
「ご両親の不在? まさかあなた達、二人きりで同じ家に寝泊まりしているのではないでしょうね」
問い詰められて、俺はいよいよ答えに詰まった。
不純異性交遊の嫌疑をかけられているというのに、まさか「はい、そうです」と答えるわけにもいかない。
答えた瞬間、別々の修道院に拘禁されるのではないかという気さえしてくる。
「ゆうて今んとこ何もないで。部屋も別々やしな」
Kめ、なんと愚かな真似してくれるのだ。
俺は振り返り、鋭く睨みつけた。
「蛍さんがそうおっしゃるなら、間違いはないのでしょう」
豈図らんや、Kのいい加減な一言で、八汐さんは追及をやめてしまった。
これはこれで、一種の逆差別を感じる対応である。
「そんなことより、師匠の新作でオジャル! 今まで敬遠されていたジャックに挑戦アソバス由、八汐にも予めお伝えしているでオジャル」
トリシャさんは手を広げ、改めて八汐さんを紹介した。
八汐さんのプレイング、それも読みの深さには、初心者とは思えないものがある。
このメンバーで大会前のスパーリングができるのはお世辞抜きに有難い。
「そのことなんですが、トリシャさん。実際のところ、俺達が研究したいのは、ジャックの利用法じゃなくて、ジャック対策なんです」
紛らわしい書き方になってしまいましたが。
俺がことわると、八汐さんの目つきが変わった。
「彼女も出るのですか? 神戸の大会に」
思えばこの人こそ、可哀相女の天敵かもしれない。
あの女の挑発行為に八汐さんがどう反応するのか、顔合わせが今から楽しみだ。
「ええ、俺が誘ったんです」
俺は不敵に笑って見せた。
最早神戸大会は、関西のための小手調べではない。
Kにとっても、俺にとっても、進退のかかった大一番だ。
「そういうことなら、全力でお相手しましょう。私も今日は、最終調整のつもり来ましたから」
切れ長の目を見開いて、八汐さんは俺を睨み付けた。
知り合いはともかく、初対面の人間はこれが楽しそうな顔だと思うまい。
「八汐さん、トリシャも、ホンに、ありがとうございます」
これは何事か。
Kが人に頭を下げることがあるとしたら、金の無心くらいのものだと思っていた。
家では我が物顔でふんぞり返っている癖に、人前でだけ殊勝に振舞いやがって。
八汐さんの前に、俺に感謝を示したらどうなのだ。
「いえいえ、こちらこそ助かります」
今は何より、一分でも多く練習したい。
八汐さんに促されて、俺達は改札に向かった。