ふたり回し

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憔悴ー3

カルラさん、珍しくはしゃぐの巻。

 

  翌日カルラは朝一番に街へと帰って行ったものの、一日を待たずして再び診療所に現れた。溜まっていた休みを消化しないと、人事部に怒られるのだという。
「記録上の私は、バイカル湖でイルカウォッチングです」
 慣れない冗談が、心臓の上に重くのしかかる。アレクは上半身を起こして、カルラを追い返そうとした。
「すいません、こんな時に……俺はもう大丈夫ですから、今からでも旅行に行ってください」
 襲撃事件から半月も待たずに、行方を眩ませることがどれほど危険か。いつもなら、カルラはそう言ってアレクに釘を刺す側にいたはずだ。
「アレクさんの為じゃありません。これは私の我儘です」
 声を荒げるわけでもなく平然と言い放ち、カルラは深い眼差しでアレクの目を捉えた。
「そんなこと言われたら、何も言い返せませんよ」
 頭を枕に叩きつけ、アレクは降参した。舞い上がった埃が、黄色い光の中に漂っている。城と同じ、二人だけの穏やかな世界。ここからでは、アジートの様子でさえも分からない。
「そうだ、外は、アジートの中はどうなってますか? 今思ったら、倒れてからもう一週間でしょ」
 スツールを引きずる、くぐもった音がした。
「賑やかでしたよ。入り口のロータリーにも、沢山露店が出ていて」
 白熱灯の光がカルラの影を縁取り、静かに滲んでいる。
「それじゃ、まだお祭り騒ぎが続いてるんですかね。カ――」
 アレクは見物を薦めようとしたが、突然口を塞がれてしまった。
「お加減いかがですか」
 コルレルの細君が、昼食前に血圧を測りに来たようだ。カルラは立ち上がり、夫人に場所を譲った。
「こんにちは。お邪魔しています」
 名乗らずに済ませたカルラを一瞥してから、夫人はさっぱりと笑いかけた。
「いえいえ。こちらこそ、若い人の邪魔なんて嫌ねぇ」
 年なんて取るものじゃないわ、とぼやく間も手を止めず、力任せに血圧を取る夫人。体温を測り、スープにピエロギが付いただけの寂しいトレイをカルラに預けると、足早に部屋を出ていった。
「参ったな。レフといい、奥さんといい、すぐ何でもスキャンダルにしようとするんだから」
 締まりのない顔でアレクが謝ると、カルラは口をとがらせた。
「アレクさん、人前で『様』を付けるのは止めてください。怪しまれます」
 宥めたつもりが藪蛇ときては、アレクに頷く以外の手はない。
「分かり……分かったよ、カルラ」
 呼び捨ての名前が、パーティションの間を滑稽に彷徨っている。胃もたれする沈黙の後、カルラは判決を言い渡した。
「よろしい。ではご褒美にピエロギを一つあげましょう」
 トレイがベッドテーブルに置かれると、料理が上から見下ろせた。上には何のソースもかかっていないが、何のピエロギだろうか。カルラは何のためらいもなく真っ白なピエロギを突き刺し、アレクの口元に運んだ。
「あーん」
 躊躇いながらも復唱するアレク。口を閉じた瞬間に柔らかい皮が弾け、ぬるいマスカルポーネとパイナップルが溢れ出てくる。そこそこ程度にみずみずしく、甘すぎもしないことに感謝しつつ、アレクは素早く逃げを打った。
「うん、結構いけるよ。そっちのスープはどうかな? 中華風に見えるけど」
 コルレル達の昼食の一部なのか、中華風のコーンスープは素朴で旨い。アレクはスープを先に呼ばれ、ピエロギをデザートに残すように頼んだ。一々ス―プを掬ってくれるのが怪しまれないためならば、多少は気安く甘えられるものを。背中に汗を流しながら、アレクはぎこちない笑顔で昼食を平らげたのだった。