ふたり回し

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移植ー10

 悩みどころ。

 

 

 一番怪しいのは、やはりユーリの扉の真裏だろう。バルコニーの谷まで戻り、アレクは入ってすぐの通路を物色した。寮と同じような鉄の扉が三つ並び、一枚分の間を開けて一番奥に四つ目の扉がある。どの扉に入っても何かしらの発見は約束されているようなものだが、そのせいで扉を選ぶことは余計に難しい。腕を組んでバルコニーを往復すること数分、漸く進展への第一歩が定まった。

 書きかけの概要を前に、アレクは背もたれを大きく軋ませた。ブローカ野三角部、前頭前野ヘの投射を行うニューロンのうち、第3群及び第4群の軸索に70ミリボルトの電圧を1ミリ秒。半ば公式と化した条件が、研究を袋小路に追い込んでしまっている。無論大規模な実験の結果得られた数字ではあるし、自分を含め多数の研究者が少しずつ異なる条件で繰り返し実験を行い、その正しさを確認したてきた。だが、未だに二人目のЭが現れないのは、その実験が失敗しているからだ。
 複数の選択肢を遡り、一見問題外の可能も挙げてみよう。被験者側の問題だとして、求められる条件は何なのか。電気刺激の方法以外の処置、薬品や催眠、或いは積極的なトレーニングを含む行動療法を併用してみては。思い切り正答例を疑ってみる、例えば弓状束への刺激ではなく、そこから尾状核に伝わった刺激に原因を求めるのはどうか。静寂に走るペンの音を、無粋なノックが不意に遮った。
ハバロフスク市警アフトダローガ署捜査二課のジブリールという者です。ピョートル先生からのご紹介で参りました」
 転属前の病院でサールが受け持つはずだった、ある患者を追っているのだという。アレクは椅子に座ったまま振り返り、本棚越しにドアを睨んだ。
「遠路はるばるお見えになったのに申し訳ないが、ここ数年、ピョートル君が患者を回してきたことはありませんよ」 
 まさか。相談は受けたが、ピョートル本人に紹介を薦めたわけではない。あの男は、保安局から回されてくる手筈だったのだ。アレクは別のファイルを開き、なるべく音を立てないよう、裏紙をゆっくりと引き出しの底に落とした。
「それもその筈、彼は他ならぬ私に逮捕されてしまったんですから。その上二時間後には保安局が引き取りに来ましてね」
 随分とせわしない話ですが、不幸なことにそれが最後ではなかった。引き下がるどころか、刑事は扉越しにも大きな声で話し続ける。
「その後、彼の身に何が起こったと思いますか?」
 こちらの打つ手は最小限の相槌だ。帰ってもらう理由も、入ってもらう理由もないのだから。鍵穴を見つけられず、窮屈な足音は青白いドアの前を往復している。
「私もそう思いました。が、さらに別の迎えがやって来た」
 テロリストが護送車を襲って彼を捕らえ、或いは、救い出した。刑事の説明は端的というより、一足飛びと言った方が正しい。
「私なりに調べましたが、その男は連中の仲間でもなければ、ましてや党の重要人物などではありえない」
 保安局とテロリストが取り合う程の理由が、一体どこにあるというのか。ピョートルの話も初めは話半分に聞いていたが、問題はその日付だ。
「保安局が動いたのは、彼が転院の勧めを断った直後だ。転院して貰わなければ困る御仁が、どこかに居たのかもしれませんね」
 例えば、オホーツクの研究所とか。足音がぴたりと止まり、扉の裏で歪な気配が膨れ上がった。