ふたり回し

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拒絶-12

UPするの忘れてた…

 目覚めただけで肩が軽くなる訳もなく、アグラーヤに見張られながら部屋の中を歩き回ったり、今更レフを捕まえて検問の場所を尋ねたりしている内に再び夜が廻ってきた。せめてもう一度だけでも打ち合わせが出来れば、どれほど助かるか分からないというのに。カルラは徹夜しているかもしれず、アレクが寝過ごしてはそれこそ話にならない。月明りで時計を見ようとカーテンを開けたばかりに、夜気が虫の声に紛れて部屋の中に滑り込んでくる。
 三時五十五分。そろそろ動き出す頃合いか。アレクは手さぐりで靴を履き、気難しいノブを恐る恐る回した。見回りの時刻はとうに過ぎているが、忍び足しか踏み出せない。ヘッドランプなどは元からなく、非常口の内鍵を探すにも月明りの照り返しが頼りだ。幸いノブはすぐに見つかったので、中心の押しボタンを切り替えつつ何度か回してみた。押す前も押した後も、ノブは鈍い音を立て途中で見えない何かにぶつかる。
 鳩尾がぐらつき、掌に汗が滲んできた。部屋を出てから、一体何分過ぎただろうか。振り出しでこんなに時間を費やしていては、待ち合わせの時間に間に合わない。安物の防火扉一枚に阻まれ、アレクは真っ暗な行き止まりに取り残されてしまった。ボタンが出ているときと引き込まれているとき、両方が外れでは、もう何も道が残されていないではないか。糸口を見つけられぬまま格好だけは息を整え、考え直して分かったことはノブの鍵が原因ではないことだけだ。闇の中手さぐりで当てもなくドアを調べている所に、細やかな灯りが差し伸べられ、つまみのある二重鍵が浮かび上がった。
「何? 予行練習?」
 小声で問われて振り返ったはいいが、滑らかな言い訳は簡単に出てこない。
「違うよ、鍵、鍵がどうなってるのか……開け方を確かめようと思って」
 アグラーヤは合いの手を与えず、じっとしたり顔で微笑んでいる。アイラインの狭間から獲物を値踏みする瞳の、鋭く烈しい輝き。温かいライターの火が鈍らに見えるほど。
「手元が見えなくて困ってたんだ。助かったよ」
 ひきつった笑顔を返すや否や、アレクは疑いの目から逃れていそいそと鍵をいじった。つまみを右に回せば弾力に押し戻され、左に回せば手応えと共に解ける。ノブが回るのは、ボタンが凹んでいる時。あれだけ苦戦したにも拘わらず、ものの数秒で片付いてしまった。風を押しのけて広げた隙間から、夜気を追いかけ、透明な月明かりが真っ直ぐ中に伸びてくる。
「……うん、開いたよ。これでドアは心配ない」
 緑の香りを確かめるだけ確かめ、アレクはノブから手を放しもせずに素早く非常口を閉ざした。
「あのさぁ、セッカク四時まで待ったのに、何で閉めちゃうワケ?」
 重く冷たい切っ先を首筋に突きつけられ、アレクはノブを握ったまま振り返ることさえ出来ない。言い逃れも言い返しもしないのをいいことに、打って変わって明るい声が楽し気に畳みかける。
「出かけるつもりだったんだよね? 行こうよ」
 行かなきゃダメじゃん。村の入り口まで。ネイルが肩口に噛みつき、アレクを力ずくで振り向かせた。街へ遊びに行った時と同じ屈託ない笑顔につられて、こちらも生半可に笑ってしまう。
「本番の方が大事だよ。今見つかって目をつけられたら、それこそ逆効果じゃないか」
 言い訳自体はもっともらしいが、夜更かしの説明にはなっていない。アグラーヤは問いただすわけでもなく、ライターの生暖かい灯でアレクの顔を検めている。後ずさるにも初めから背中がドアに押し返される有様では、横からすり抜ける以外の退路がない。
「とにかく、朝が近いから、少しでも寝ておかないと」
 恐る恐る肩から手を引き剥がし、アレクは蟹歩きで壁伝いに逃げ出した。エンジニアブーツの底が静けさを掠め、ところどころが剥がれ落ちた塗膜の縁に指が触れる。窓の向こうにうっすらと浮かぶ男が、情けない顔つきで小娘の後ろを通り過ぎる。
「ふぅん、じゃ、私ももう帰ろ」
 部屋にたどり着くより先に、アグラーヤはわざとらしく諦めて見せた。熱をはらんだ光が目の前を横切り、影を連れて廊下の奥へと沈んでゆく。後姿が角を曲がるのを見届け、ようやくアレクは扉を閉ざした。
 時計は四時六分。今から出て、果たして間に合うものだろうか。それどころか、途中でアグラーヤが見張っているかもしれない。もう一度見咎められたらこれ以上の言い逃れは出来まい。それでもカルラがアレクを探し回り――カルラが捕らえられてしまうよりは遥かにマシだ。いっそ何も考えずに飛び出していく方が賢明ではないか。
 行かなくともよい理由、行ってもよい理由を捏ね繰り回し病室をうろつく間にも、雲影は涼しい顔で流れ去ってゆく。今来ているとしたら、カルラはあの辺りか。暗い森の中に見当を付けていると、不意に月明かりが途絶えてしまった。街灯の一本もない手つかずの闇夜を、見えない秒針だけが這い回る。残された時間を確かめることさえできずに、月が出るよう祈っていると、くぐもった風が足音の名残を運んできた。
「カルラ?」
 叫びと呼ぶには、思い切りがまるで足りない。何の手ごたえもないままに、あやふやな呼びかけは木々のざわめきに紛れてしまった。よそ者が見つかれば、ここまで騒ぎが聞こえてくる筈だ。見つかる前に、カルラが無理をせず切り上げてくれれば。待てども待てども一向に月が出る気配はなく、漸く時計を見ることができた時にはとうの昔に十五分を過ぎていた。