ふたり回し

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殴りたくなるデザイン-上

このあたりで、もう一度戦国編を振り返ってみましょう。


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先日のカードキングダムの記事では、DMについて以下のように述べられています。

「シールド・ブレイクすると、相手の手札が増え、手札が増えると、状況に合わせた『その時に効果的なカード』を使える確率が上昇する(選択肢の拡大)。

 それによって、有利・不利が揺れ動くシーソーゲーム」

ところが、速攻はそれをゆるさない。

そして、コントロールもそれをゆるさない。

シーソーゲームに必要なのは、速攻とコントロールの中間に属するデッキです。

この中間層を増やすために、積極的なデザインが試みられたのが、戦国編でした。


戦国編のカードデザインの特徴は、シールドゾーンを操作するカードが大量に追加されたこと、

そして、ビートダウンの強化と同時に速攻対策の強化が行われたことです。

プレイヤーに積極的に攻撃させようとする、非常に野心的なエキスパンションでした。

結果として、新たなデッキタイプの創出は成功し、ある程度はシーソーゲームも行われるようになりました。

青単やキングは強力ですが、バリエーションを豊かにするという意味で、これらのデッキの存在自体は、歓迎するべきことでしょう。


しかし、戦国編で行われた実験に対する反省もまた、大いに必要とされていることでしょう。

戦国編によって生み出された環境には、まだまだ歪みがたくさん残っています。

現在のシーソーゲーム、すなわち中速デッキが、単体のフィニッシャーやコンボに支えられていること。

そして、城やサムライクロスギアといった、「フィニッシャー登場以前」の攻撃を誘発するカードがほぼ全滅してしまったこと。

結果として、フィニッシャーが登場するまでの動きにバリエーションがあまりないこと。

これらの課題をいかにしてクリアしていくかが、神化編でDMが神ゲーになれるかどうかを決すると言っても、過言ではありません。




一つ目の問題点、中速デッキが特定のフィニッシャーに支えられていることについては、比較的意見の分かれないところだとおもいます。

今の環境ですと、ロマノフ、ドルゲーザあたりが中低速ビートダウンにあたるのでしょう。

これらのデッキが、カード単体のパフォーマンスによって攻撃させ、あるいは積極的な攻撃を可能にしているのは明らかです。

結果として、デッキの種類は多いけれども、個々のデッキが固定され、新しいデッキが生まれにくい環境になっています。


そして、これはフィニッシャー全般にも言えることですが、「妨害メインのフィニッシャー」から、「防御的なフィニッシャー」へのシフトが見受けられます。

戦国編、極神編以前の環境ならば、ボルメテウスやバジュラズソウルなど、コントロールのフィニッシュはあくまでコントロール要素に依っていました。

それが、極神編以降のフィニシャーは、大きく変容しています。

HMしかり、ゼンアクしかり、ドルゲしかり、ギャラクシーしかり、防御するフィニッシャーが主流になっているのです。

恐らくは、「相手の行動を阻害しないことで、逆転の余地を残す」ための措置なのでしょうが、実際はそこまで上手く機能してはいません。

むしろ、クリーチャーコントロールの要素を内包し、また全体的に軽量化されたことで、コントロールと速攻の中間を狭めてしまっています。

「相手がボルメならぎりぎり殴りきれるけど、ギャラクシーやHM、ハンゾウだと完全封鎖されてしまう」デッキは、決して少なくないはず。

フィニシャーの変容は、高速フィニシャーを擁したコントロールが仲良く共存する寡占状態を生み出してしまったのです。


ですから、フィニッシャーに頼った形でのシーソーゲームの推進は、あまり上手くいっていないということになります。

現環境の閉塞感に対して不満が寄せられるのも、無理はありません。

ただ、今回取り上げなかったロマノフ。

私は、このカードだけは数少ない成功例、いえ、成功への糸口になりうるカードだと考えています。

それでは、次回に続きます


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