リシュンが登場して若干平和な展開。
シャビィの心変りが必要なので、この次はちょっと大変かもしれない。
何の沙汰もないままに、淀みきった光の底を時間だけが滔々と流れ去って行った。まだ日も昇っていないというに、カタリム山で過ごした日々はみるみる押し流され、今や風化した記憶の彼方だ。持ちこまれた書物や骨董に染みついた悠久が、真新しい蔵の中に滲み出しているのかもしれない。ここは、置き去りにされた記憶の墓場なのだ。窓から射し込む陰の中で身体を丸め、懐から取り出した数珠をうつろな目でじっと眺め続けるうちに、シャビィはいつの間にか再び浅い眠りの中へ溶け込んでいったのだった。
シャビィが目を覚ましたのは、大通りさえ静まり返った、夜半過ぎのことだった。色褪せたまどろみの中を彷徨いながら、埃の下に埋もれ行く哀れな青年を、彼方から呼ぶ声が聞こえたのだ。
「……さん、シャビィさん!」
物心ついた頃には、文字通り仏門に「放り込まれていた」シャビィである。よもや生きている間に女性から名前で呼ばれる機会があろうとは、微塵にも考えていなかったに違いない。ましてや、今シャビィの前には、人の形をした穏やかな影が佇んでいるではないか。目に涙を浮かべながら、呆れ顔のリシュンに向かって手を合わせたのは、だから、至極まっとうな反応だったと評さなければならないだろう。
「ほら、寝ぼけてないで、しっかりして下さい。」
強く肩を揺さぶられて、シャビィの頭は何度か床にぶつかった。後頭部の瘤のおかげでシャビィはたちどころに覚醒し、頭をさすりながら起き上ると、リシュンに気がついて目を円くした。
「リシュンさん?なんで――」
華奢な手で大きな顎を鷲掴み、リシュンは人差し指を立てた。
「あまり大きな声は立てないでください。」
解放されたシャビィは、低い声で聞き返した。
「寺院の裏側は女人禁制ですよ。どうしてこんなところにいらしたんですか?」
寝起きにふさわしいなんとも悠長な質問だ。リシュンは思い切り唇の端を吊り上げた。
「シャビィさんがお腹を空かせていないか心配になって、差し入れに参りました。」
それは、それは、と相槌を打ちかけてから、シャビィの表情は瞬く間に凍りついた。この女はなぜシャビィが幽閉されていたことを知っているのか。後ずさるシャビィに、リシュンは鋭い眼差しを突きつけた。
「やはり、あなたは折檻されていたわけではない――話して頂けませんか、あなたかここに監禁されている、その訳を。」
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