ふたり回し

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薄明

ラチられたアレクの運命や如何に。


 気がつくと、アレクはいつも通り薄暗い廊下に立っていた。またもや死に損なったのか、それともエッシャーの城が冥界そのもので、アレクは知らぬ間に入り浸っていたのかもしれない。テルミンの話によると魂は脳味噌とは別のところにあるらしいから、体が死んでも意識だけが城の中で生き続けるというのも十二分にあり得る話だ。もっとも、その場合他人は自分の扉からで歩いたりはせず、扉の中で夢を見続けているのだろう。

 アレクはひとまずカルラのもとを目指したが、広間を抜けて段の付いたバルコニーに出たところで、ぴたりと足が止まってしまった。世話を掛けた割にあっさりと殺されてしまっては、カルラに合わせる顔がないではないか。石畳の上を行っては戻り、座っては立ち上がり、落ち着きなくうろついた揚句、アレクは結局扉へ引返す事に決めた。 

 アレクは扉の前に立つと、胸いっぱいに息を吸い込み、それからゆっくりと鼻から空気を逃がした。アレクの身体が生きていれば、中に入ると同時にアレクは目を覚ますだろう。

収容所で拷問を受けるのか、すぐさま人体実験が始まるのか、まさか優雅にホテル住まいをさせてもらえるということはなかろうが、少なくとも今までの続きが待っている。

 だが。ドアノブの冷たさに、アレクは手を引っ込めた。この扉の中が、支離滅裂な夢にだったら。或は全くの空室、暗闇が広がっているだけだったなら。それはアレクに、もう現実に帰るための身体が残っていないことを意味している。仲間たちやノンナにはもう二度と会えず、入り組んだ迷宮の中、話し相手は何を考えているのかわからないカルラ一人。それ以上惨たらしい目に遭わないということだけが、唯一の救いだ。

 腕を組んで立ち尽くしたまま、アレクは壁にもたれかかり、扉をじっと見つめていた。上に向かってにじみ出た肌色の木目、丁寧に塗り込まれたワックスの照り、そして鈍い光を放つ錆びついた真鍮のノブ。ついこの間、他人の夢を見た時と同じだ。この扉を開けることが、答えを確かめることになる。この前と違うのは、この扉からだけは逃れようがないということだ。しばらくしてアレクは観念し、小さなため息とともにノブを捻った。

 目を覚ました時、アレクは乗用車の後部座席にシートベルトで括りつけられていた。護送車ではない。運転席との間に鉄板の仕切りはなく、背もたれの影が並んでいる。空は既にうっすらと白んでおり、窓の外には空と山、広々とした田畑が見えた。

「ん? 気づいたかい、兄さん」

 アレクが景色から目を戻すと、細面の運転手がミラー越しに目配せした。護送車の中で爆殺された筈が、今度は業務用のワゴン車に乗せ換えられ、どうやら山道を走っているらしい。アレクが気を失っている間に、一体何が起こったのだろう。

「あんた達は、一体……護送車はどうなった?」

 ワゴンはヘアピンを曲って林の影に入り、細長い木漏れ日が車の中を幾つもよぎった。暗くてよく見えないが、運転手はアレクの質問を聞き、にやついているように見える。ワゴンが林の影を抜けると、男は軽いだみ声でうそぶいた。

「俺は工業局施工6課、道路・電気工事係のドミトリエフだ。そして助手席に座ってる絶世の美女が、上司のエカチェリーナ様」

 ケタケタ笑う自称ドミトリエフに、アレクは目を白黒させた。警察と公安と狙撃銃と人体実験、アレクを取り巻く険しい状況に道路工事が入り込む隙間などない。ドミトリエフはアレクなどおかまいなしに馬鹿笑いを続けるので、隣に座っていた金髪の女からブーイングを頂いた。

「初めまして、アレク君。私達はね、公安からあなたを助けに来たの。それで今、アジトまで帰る途中ってわけ」

 エカチェリーナはシートベルトを外して立ち上がり、シートに肘をついて後部座席を振り返った。ドミトリエフの説明は、丸きり嘘という訳でもないらしい。アレクの命の恩人は、明るくて暖かい笑顔を湛えた、正真正銘の女神だった。警察と公安と禍々しい人体実験から、彼らは本当にアレクを救ってくれたのだ。ただし、5人いた隊員のうち、少なくとも2人を狙撃銃で「無力化」して。

「危ないところをどうもありがとうございました……ところで、あの、その、アジトっていうのは……」

 エカチェリーナの曇りない微笑みに、アレクはひきつった笑顔を返した。

「昔、廃坑をいじって作ったんですって。あ、中は綺麗だから安心……いや、流石に綺麗とは……」

 でも、まあ、泥まみれってわけじゃないし、すぐ慣れるわよ! エカチェリーナは掌を伏せ、アレクを励ましてくれた。間違いない。彼らの行き先は、テロリストの隠れ家だ。アレクが言葉を失っているのに気付いて、ドミトリエフが苦笑した。

「別に獲って食ったりはしないさ。意外と普通だろ? 俺達。お前も街に戻るわけにはいかないだろうし、身の振り方が決まるまで、とりあえずウチに来いや」