注目度ナンバー1の男、レフ登場。
アレク達を乗せたワゴンは尾根を乗り越え道沿いに山を下りた後、小さな湖の脇を抜けて寂れた町に辿り着いた。道沿いに打ちひしがれた廃屋が建ち並び、交差点には錆びついた信号機が頭を垂れているものの、生きた人間の匂いは全くしない。ワゴンがゆるやかな坂を登るにつれて家々は藪の奥に身を隠すようになり、終いに廃屋が目につかなくなった頃、俄かに藪が開けアレク達の前に大きな空き地が姿を現した。
炭鉱だ。コンクリートを打った暗い入口に、錆びついたレールが呑みこまれている。レールのもう一方は苔むした赤レンガの倉庫に続いており、ドミトリエフはそちらにハンドルを切った。小銃を下げた見張りは二人の顔を認めると受け付けに声をかけ、黒光りする鉄の扉が重い音を引きずってゆっくりと開いた。
出払っているのか、倉庫の中には他の車両が見当たらない。アレクが首をかしげていると、俄かにワゴンが大きく傾いた。
「おいおい、床が抜けたぞ!」
アレクの叫びを聞いて、ドミトリエフは噛み殺した笑い声を立てた。
「絶叫マシンみたいだろ? 本物の車庫はこの下にあるんだ」
アレク達の背後で、扉の閉まる重たい音がした。倉庫の床がシーソーになっていたらしい。ワゴンは軽くブレーキをかけながら不愛想なナトリウムランプの光をくぐり、やがて高い天井のホールに出た。冷たいコンクリートに覆われた広間には高速道路の橋げたを思わせる直径数メートルの柱が立ち並び、奥には大きなトラックが何台も止まっている。ドミトリエフは大回りでトラックをよけ、ホールの外周に儲けられた駐車場にワゴンを停めた。
「見た目と違って、結構広いでしょ? ここに住んでる人だけでも千人くらいいるの」
エカチェリーナはワゴンから降りると後ろのドアを開き、降りようとするアレクの身体を支えてくれた。軍隊にいたというのは紛れもない事実のようで、エカチェリーナの指はアレクの脇に強く食い込み、その気になれば丸ごと持ち上げられてしまいそうだ。
「どうも。あんた、凄い力だな」
秘密基地の地下ホール、あるいは隠しロータリーに、靴の底が床につく酸っぱい音が小さく響いた。黄色く染まったホールの中は、照明の熱がこもっているせいか地下だというのにじわりと熱い。
「力だけじゃないぜ。護送車を狙撃したのも姐さんだ。俺は下で誘導棒振ってただけ」
ドミトリエフはリアハッチを開けてケースを取り出し、エカチェリーナに手渡した。能天気なのはカモフラージュか、それとも冷徹さの副産物か。アレクは聞こうとしかけて、ふと思いとどまった。そういえば、昨夜から一度もトイレに行っていない。
「ありがとう。でも、どっちも女の子としては複雑なところね」
エカチェリーナは口元を隠して軽く笑い、それからホールを歩いていたつなぎの男に手を振った。
「レフ! ハンガーを開けてくれない? 工具が使いたいんだけど」
男はこちらに振り向き、工具や金具のぶつかり合う小忙しい音を立てながら3人に駆け寄った。
「あれ? リーナ様じゃないすか! こいつぁお早いお帰りで」
男はアレクに気付くと、強烈なタレ目でアレクを検めた。これは挨拶だけで終わりそうにない。
「……ということは、コイツが噂の新人ちゃん? いいぜぇ、好きなだけボルゾイ共を見ていきな」
レフが肩越しにハンガーを指すと、アレクは苦笑してみせた。
「いいのかい? 必ず見学に行くよ。でも、その前にトイレに案内してくれないかな? そうすれば、ゆっくり話が聞けるだろ?」
ああ、それなら。答えようとしたレフを、エカチェリーナは遮った。
「それにしたって、手錠は斬らなきゃね。それとも、レフに介助してもらう?」
二人は渋い顔を見合わせ、それからハンガーに向かって走り出した。ホールを横切るわけではないが、ハンガーまではかなりある。
「お前、なんでそんなもん着けてんだよ。途中で暴れたのか?」
レフは振り返らずに軽口をたたいた。レフの笑い方はユーゴに似て、どこか風通しがよいところがある。
「公安にかけられたんだよ。鍵があったら外せるじゃないか」
あがった息を吸い戻し、アレクはレフに言い返した。
「道理で硬そうなわけだ」
ハッチの前に辿り着くと、レフはスイッチのカバーについた鍵を解き、大振りな緑のボタンを押した。浅くストライプが彫り込まれたダークグレーの鉄板が奥に倒れながら浮き上がり、ざらざらしたアラートと共に奥へ引き込まれてゆく。中に並んだ車両を目にして、アレクは少しだけ唾を呑みこんだ。
「どうよ、ウチの装備は。軍の払下げや横流し品じゃないぜ。西側の最新モデルだ」
軍用バイクだ。この中に、病棟の上端を瓦礫に変えた車両がいる。アレクは僅かにたじろぎ、艶めかしく波打つダークグレーの車体を見つめた。ミサイルこそ背負っていないもののライトの間からは6門式の機関砲が突き出し、この車両が兵器であることを物語っている。
「来いよ、そいつをさっさと切っちまおうぜ」
作業台の隣で、レフが手招きした。台の上に固定された機械からは黒い刃が覗いている。恐らくは超音波カッターだろう。
「ああ、宜しく頼む」
アレクは上ずった返事を返し、噛み付かれぬようにバイクを大きくよけて歩いた。この鉄の猟犬は本物のボルゾイより3倍は大きな体を持っている。四肢を折り畳み眠りについてはいても、その凄みが失われることはない。
「このポーズ、結構しんどいな。なんか腕が吊りそうだ」
アレクが後ろに手を突き出し、台の上に手錠を乗せると、レフはカッターのスイッチを入れ、アレクの手錠に刃を入れた。カッターの振動は手錠に伝わり、部品がぶつかり合う硬い音がハンガーに広がってゆく。合金を切り裂くカッターの気配にアレクは軽く唇を結んだが、それもつかの間、手錠の鍵に刃が入るとあっさりとロックが外れ、下半分のパーツが台の上に転がった。
「これで良し。トイレは外に出て右行ったところな。まあ見りゃわかるだろう」
助かった。アレクはハンガーを飛び出し、そのままトイレに駆けこんだ。余程小便が溜まっていたのだろう。一旦出始めるとなかなか小便の勢いは収まらず、終わった後も腎臓がしくしくと痛んだ。