ふたり回し

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俺は死を選ぶぞ! その1



 翌朝俺は、一人で三ノ宮のセンター街に向かった。

 メンタルや対応力を培う、アウェイでの店舗大会。

 本当はKが出るはずだったのだが、あの愚か者め。

 デートの予定があるから行けないだと。

 カードを舐めるのも大概にしろ。

 

「その日、大会ない思ってたし、もう予定入れてしもたわ」

 大会より男遊びが優先とは恐れ入る。

 他の全てを捨てる覚悟がなくては、カートゲーマーなどやっていられない。

 金や時間は勿論、他の趣味や睡眠時間、果てには家族やキャリアを擲つ者もいるのだ。

 カードショップは臭いなどと宣う連中がいるが、笑止千万。

 大会前には、風呂などにかまっている暇はない。

 風呂などには入らなくて当たり前、いや、のんびり湯に浸かる輩など、二流三流のカードゲーマーに過ぎん。

 Kの認識不足には赦し難いものがあるが、俺にとってはいい機会だ。

 あの馬鹿が押しかけてきてから1カ月。

 ひたすらセコンドに徹してきたせいで、俺はマトモに試合をしていない。

 八汐さんとの野良試合で、不安は危機感に変わった。

 

 鈍っている。

 日本でもトップクラスの、俺の実力が。

 初心者相手に、手こずる程に。

 今日のリーグ戦も、終わってみれば11戦8勝3敗だ。

 決してレベルの高い面子ではなかった。

 コンディションが悪かったとも言わない。

 9戦目、一つ落として調子が崩れた。

 以前の俺には、立て直すだけの粘りがあった。

 

 失ったのだ。

 勘を、忍耐を、緊張感を、底力を。

 あの、あの糞ビッチのお守りなどしていたせいで。

 やはり間違いだったのか。

 俺の才能が示せるならと、他人にデッキを渡したのは。

 目先の大会には見切りをつけ、今は雌伏して牙を研ぐべきだったというのか。

 ポケットに手を突っ込み、裏通りを歩いていると、携帯が俄かに震え出した。

 パラガスの奴だろうか?

 それともトリシャさんが新たな衣装を手に入れたのか。

 何気なく見てみると、見たくない名前が見えた。

 Kだ。

 あの不届き者め、よくも俺にメールを寄越せたものだな。

 条件反射で破棄し、俺は携帯をしまい込んだ。

 こんな奴とつるんでたまるか。

 俺はもう決めた。

 カードゲームは個人競技、俺の才能は自ら証明してみせる。

 歩き出そうとした俺を、携帯が再び呼び止めた。

 誰だ、俺の邪魔をするのは。

 源だろうと紗恵さんだろうと、俺の邪魔をするものは皆同じ。

 叩き潰して、切って捨てるのみ。

 睨み付けた画面に映っていたのは、しかし、またしてもKの名前だった。

「しつこい!」

 油染みた繁華街の裏路地を、叫び声が打ち鳴らした。

 後ろから、女の囁きあう声が聞こえる。

 勝手に言ってろ、凡人どもめ。

 女子だけの大会など、2度も3度も続けられるわけがない。

 チャンスは必ず巡ってくる。

 それこそ、源に借りを返すときだ。

 俺はさらに暗い横道を突っ切り、線路沿いの道を目指した。

 

 まただ。

 また携帯が唸っている。

 しかも今度は音声通話、なんというしつこい女だ。

 着信拒否しようとして、俺は一瞬手を止めた。

 待て、さすがにこれは妙だ。

 そもそも奴は、デート中ではなかったか。

 男を放り出して、こんなに電話をかけ直すものだろうか。

 もしや、Kは今一人なのではあるまいか。

 ひょっとすると、心を入れ替えて予定をキャンセルしたのかもしれない。

 いや、それはないにせよ、あの暴力女のことだ。

 速攻で愛想をつかされる場面は想像に難くない。

 つまりこれは、そういうことか。

 ついに己の過ちを認め、俺に謝ろうとしているのか。

 依然暴れる携帯を手に、俺は演算した。

 別に電話を取ったからといって、許してやらねばならないわけではない。

 聞くだけだ。

 聞くだけなら問題なかろう。

 あの横柄な女が許しを請うのを聞いて、切り捨てるのはそれからだ。

 悪いな、K。

 お前のおままごとに付き合っている暇はない。

 回線がつながった瞬間、俺は通話を選択したことを後悔した。

「何シカトしとんねんワレ、ナメとんのか!」

 図々しさも、ここまで来れば流石というべきか。

 落としかけた携帯を捕まえ、画面に浮かんだ名前とにらみ合った。

 

「舐めてるのはどっちだ! 貴重な大会をフイにしやがって」

 言いたいことがあるのは、お前だけではない。

 今日という今日は、はっきりと言ってやる。

「お前のどこにそんな余裕があるんだ。八汐さんどころか、京子ちゃん相手にも勝ち越したことがない癖に」

 日本一日本一と威勢だけはいいが、その自信を支えているのは壊滅的な認識不足だけ。

 こんな奴に、万が一も可能性があってたまるものか。

 突きつけられた事実に、Kは安っぽく噛みついた。 

「ええい、今はそれどころやない!」

 己の怠慢をして、それどころだと。

 もういい、お前相手に容赦などしない。

 ノーガードの皮肉で返してやる。

 

「ああ、そうか。お前は楽しいデートの最中なんだったっけ?」

 道が開けた。

 線路沿いの道路を、乗用車が行き交っている。

 ここから俺も仕切り直しだ。

 お前は勝手に、お前のヌルい人生を楽しんでいろ。

 買い文句かと思いきや、Kの返事は神妙だった。

「アホが、せやから困ってるんやないか」

 何だそりゃ。

 休日の往来が、俺を通り過ぎてゆく。

「Cタケ、今日確か三ノ宮やったろ……今から、ウチの言う通りに、せえよ」

 あろうことか、Kは俺に指図を始めた。

 人の言うことを聞かずに遊び回った挙句、これである。

 一体どれだけ横柄になれば気が済むのだ。

「それはこっちの台詞だ! お前こそ――」

 ええか。

 無理矢理搾ったような声に、俺は思わず口ごもった。

 いつもの馬力がないどころか、息遣いが小刻みに震えている。

 信じられん。

 あの糞ビッチめ、よもや最中に電話をかけてこようとは。

 舌打ちして通話を切ろうとしたそのとき、Kの口から恐るべき指令が放たれた。

「まず、薬局行って、ソフィサラと……バファリン、買うてこい」

 大会をボイコットし、男の上から電話するだけでは飽き足らず、俺を余興に使うつもりか。

 今までも散々馬鹿にしてくれたが、今度という今度は絶対に許さん。

「何だその罰ゲームは! そんな真似ができるか!」

 息を整えながら、Kは途切れ途切れの言葉を並べた。

 

「ワレ、忘れたんか? お前のウチと、ガッコ……とっくに、割れとるんや、ぞ」

 野蛮人め、何か気に入らないことがあると、すぐこれだ。

 そんな簡単に殴り込みをしていたら、世の中病院がいくつあっても足りん。

 電話越しにKの唸り声が聞こえて、俺はため息をついた。

「ふざけるのも大概にしろ。文句を言わなきゃならないのはこっちの方だ」

 やはり、電話をとったこと自体が間違いだったのだ。

 通話を切ろうとして、しかし、俺は手を止めた。

 呻き声だ。

 唸り声ではない。

 Kは電話の向うで、呻いている。

 念のために耳を近づけると、Kはまだしゃべり続けていた。

 

「……と、ソフィサラ……ソゴウの、二階の……」

 ソゴウというのが駅前のSOGOのことなら、あの馬鹿は随分と近くにいることになる。

 まさかとは思うが、Kの奴、本当に入用なのか。

「おいK、話が見えないぞ。何やら随分苦しそうだが、一体何がどうなってるんだ」

 街路樹の陰に隠れて、俺は小声で聞いてみた。

 返事はない。

 やはり余興だったのだ。

 いや、余興であってくれ。

 固唾をのんだまま、俺はKの自白を待った。

「……いや、大分……先の、筈やったんやけどな」

 勘弁してくれ。

「生理が、きてしもた……みたいや。こんな、ときに……チクショゥ……」

 まずい。

 これは不味いことになった。

 何をどうしたらいいのか、さっぱり思いつかないくらいに。