翌朝俺は、一人で三ノ宮のセンター街に向かった。
メンタルや対応力を培う、アウェイでの店舗大会。
本当はKが出るはずだったのだが、あの愚か者め。
デートの予定があるから行けないだと。
カードを舐めるのも大概にしろ。
「その日、大会ない思ってたし、もう予定入れてしもたわ」
大会より男遊びが優先とは恐れ入る。
他の全てを捨てる覚悟がなくては、カートゲーマーなどやっていられない。
金や時間は勿論、他の趣味や睡眠時間、果てには家族やキャリアを擲つ者もいるのだ。
カードショップは臭いなどと宣う連中がいるが、笑止千万。
大会前には、風呂などにかまっている暇はない。
風呂などには入らなくて当たり前、いや、のんびり湯に浸かる輩など、二流三流のカードゲーマーに過ぎん。
Kの認識不足には赦し難いものがあるが、俺にとってはいい機会だ。
あの馬鹿が押しかけてきてから1カ月。
ひたすらセコンドに徹してきたせいで、俺はマトモに試合をしていない。
八汐さんとの野良試合で、不安は危機感に変わった。
鈍っている。
日本でもトップクラスの、俺の実力が。
初心者相手に、手こずる程に。
今日のリーグ戦も、終わってみれば11戦8勝3敗だ。
決してレベルの高い面子ではなかった。
コンディションが悪かったとも言わない。
9戦目、一つ落として調子が崩れた。
以前の俺には、立て直すだけの粘りがあった。
失ったのだ。
勘を、忍耐を、緊張感を、底力を。
あの、あの糞ビッチのお守りなどしていたせいで。
やはり間違いだったのか。
俺の才能が示せるならと、他人にデッキを渡したのは。
目先の大会には見切りをつけ、今は雌伏して牙を研ぐべきだったというのか。
ポケットに手を突っ込み、裏通りを歩いていると、携帯が俄かに震え出した。
パラガスの奴だろうか?
それともトリシャさんが新たな衣装を手に入れたのか。
何気なく見てみると、見たくない名前が見えた。
Kだ。
あの不届き者め、よくも俺にメールを寄越せたものだな。
条件反射で破棄し、俺は携帯をしまい込んだ。
こんな奴とつるんでたまるか。
俺はもう決めた。
カードゲームは個人競技、俺の才能は自ら証明してみせる。
歩き出そうとした俺を、携帯が再び呼び止めた。
誰だ、俺の邪魔をするのは。
源だろうと紗恵さんだろうと、俺の邪魔をするものは皆同じ。
叩き潰して、切って捨てるのみ。
睨み付けた画面に映っていたのは、しかし、またしてもKの名前だった。
「しつこい!」
油染みた繁華街の裏路地を、叫び声が打ち鳴らした。
後ろから、女の囁きあう声が聞こえる。
勝手に言ってろ、凡人どもめ。
女子だけの大会など、2度も3度も続けられるわけがない。
チャンスは必ず巡ってくる。
それこそ、源に借りを返すときだ。
俺はさらに暗い横道を突っ切り、線路沿いの道を目指した。
まただ。
また携帯が唸っている。
しかも今度は音声通話、なんというしつこい女だ。
着信拒否しようとして、俺は一瞬手を止めた。
待て、さすがにこれは妙だ。
そもそも奴は、デート中ではなかったか。
男を放り出して、こんなに電話をかけ直すものだろうか。
もしや、Kは今一人なのではあるまいか。
ひょっとすると、心を入れ替えて予定をキャンセルしたのかもしれない。
いや、それはないにせよ、あの暴力女のことだ。
速攻で愛想をつかされる場面は想像に難くない。
つまりこれは、そういうことか。
ついに己の過ちを認め、俺に謝ろうとしているのか。
依然暴れる携帯を手に、俺は演算した。
別に電話を取ったからといって、許してやらねばならないわけではない。
聞くだけだ。
聞くだけなら問題なかろう。
あの横柄な女が許しを請うのを聞いて、切り捨てるのはそれからだ。
悪いな、K。
お前のおままごとに付き合っている暇はない。
回線がつながった瞬間、俺は通話を選択したことを後悔した。
「何シカトしとんねんワレ、ナメとんのか!」
図々しさも、ここまで来れば流石というべきか。
落としかけた携帯を捕まえ、画面に浮かんだ名前とにらみ合った。
「舐めてるのはどっちだ! 貴重な大会をフイにしやがって」
言いたいことがあるのは、お前だけではない。
今日という今日は、はっきりと言ってやる。
「お前のどこにそんな余裕があるんだ。八汐さんどころか、京子ちゃん相手にも勝ち越したことがない癖に」
日本一日本一と威勢だけはいいが、その自信を支えているのは壊滅的な認識不足だけ。
こんな奴に、万が一も可能性があってたまるものか。
突きつけられた事実に、Kは安っぽく噛みついた。
「ええい、今はそれどころやない!」
己の怠慢をして、それどころだと。
もういい、お前相手に容赦などしない。
ノーガードの皮肉で返してやる。
「ああ、そうか。お前は楽しいデートの最中なんだったっけ?」
道が開けた。
線路沿いの道路を、乗用車が行き交っている。
ここから俺も仕切り直しだ。
お前は勝手に、お前のヌルい人生を楽しんでいろ。
買い文句かと思いきや、Kの返事は神妙だった。
「アホが、せやから困ってるんやないか」
何だそりゃ。
休日の往来が、俺を通り過ぎてゆく。
「Cタケ、今日確か三ノ宮やったろ……今から、ウチの言う通りに、せえよ」
あろうことか、Kは俺に指図を始めた。
人の言うことを聞かずに遊び回った挙句、これである。
一体どれだけ横柄になれば気が済むのだ。
「それはこっちの台詞だ! お前こそ――」
ええか。
無理矢理搾ったような声に、俺は思わず口ごもった。
いつもの馬力がないどころか、息遣いが小刻みに震えている。
信じられん。
あの糞ビッチめ、よもや最中に電話をかけてこようとは。
舌打ちして通話を切ろうとしたそのとき、Kの口から恐るべき指令が放たれた。
「まず、薬局行って、ソフィサラと……バファリン、買うてこい」
大会をボイコットし、男の上から電話するだけでは飽き足らず、俺を余興に使うつもりか。
今までも散々馬鹿にしてくれたが、今度という今度は絶対に許さん。
「何だその罰ゲームは! そんな真似ができるか!」
息を整えながら、Kは途切れ途切れの言葉を並べた。
「ワレ、忘れたんか? お前のウチと、ガッコ……とっくに、割れとるんや、ぞ」
野蛮人め、何か気に入らないことがあると、すぐこれだ。
そんな簡単に殴り込みをしていたら、世の中病院がいくつあっても足りん。
電話越しにKの唸り声が聞こえて、俺はため息をついた。
「ふざけるのも大概にしろ。文句を言わなきゃならないのはこっちの方だ」
やはり、電話をとったこと自体が間違いだったのだ。
通話を切ろうとして、しかし、俺は手を止めた。
呻き声だ。
唸り声ではない。
Kは電話の向うで、呻いている。
念のために耳を近づけると、Kはまだしゃべり続けていた。
「……と、ソフィサラ……ソゴウの、二階の……」
ソゴウというのが駅前のSOGOのことなら、あの馬鹿は随分と近くにいることになる。
まさかとは思うが、Kの奴、本当に入用なのか。
「おいK、話が見えないぞ。何やら随分苦しそうだが、一体何がどうなってるんだ」
街路樹の陰に隠れて、俺は小声で聞いてみた。
返事はない。
やはり余興だったのだ。
いや、余興であってくれ。
固唾をのんだまま、俺はKの自白を待った。
「……いや、大分……先の、筈やったんやけどな」
勘弁してくれ。
「生理が、きてしもた……みたいや。こんな、ときに……チクショゥ……」
まずい。
これは不味いことになった。
何をどうしたらいいのか、さっぱり思いつかないくらいに。