ふたり回し

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俺は死を選ぶぞ! その2

連休のお陰で復調気味かな。


「おいおい! そんなこと急に言われても――」

 しまった、声が大きすぎた。

 俺は辺りを見渡してから、Kに尋ねた。

「ほ、他に頼れる奴はいないのか? トイレなら他にも女がいるだろ」

 頭痛薬はともかく、生理用品は危険すぎる。

 レジに持って行った時点で、完全に不審者ではないか。

「アホか! 人に知られるくらいやったら死んだ方がマシや!」

 人に知られるくらいだと。

 お前の生理を知られることと、俺が生理用品を買うことと、一瞬でも天秤にかけてからものを言え。

 いや、天秤にかけるまでもない。

 天才と糞ビッチ、どちらが尊重されるべきかは、誰の目にも明らかだ。

「貴様、俺にだけ恥を――」

 そのとき、背後から何かが聞こえた。

 さっきのカップルだ。

 冷ややかに俺を見つめ、何やら囁き合っている。

 クソ、覚えていろ。

 俺は横道に引き返し、もう一度Kに尋ねた。

「って、それこそお前男連れじゃねーか。当の彼氏に――」

「無理! 絶対無理っ!」

 凄まじい勢いで俺を遮り、Kは早口にまくしたてた。

「どう考えてもそれが最悪やろ! 少しは考えんかい!」

 役立たずめ、何のための彼氏だ。 

 人様に迷惑がかからないよう、コイツのお守りをするのがお前の仕事ではないか。

 一体何の負い目があって、俺がコイツの尻拭いをせねばならんのだ。

「考えろって、お前こそ自分の体面ばかり気にしやがって! お前こそ考えてみたのか! 俺が一体どんな顔して生理用品をレジに持って行くのか!」

 俺の正論に、Kは何も言い返さなかった。

 その代わりに返って来たのは、小刻みな笑い声だ。

「想像した……ちょっと元気出たわ」

 Kめ、覚えていろ。

 俺が通報されるか否かの瀬戸際だというのに、他人ごとだと思って笑いやがって。

「……それで? SOGO二階のトイレに行けばいいのか?」

 そうだ、何も俺が恥を書くことはない。

 人の善意に期待すればよいではないか。

 ツイッターで拡散すれば、三ノ宮で買い物をしているお人好しの目に留まるかもしれないな。

 零れた笑みを片手で覆い、俺はKの返事を待った。

「……お前、何か企んどるやろ」

 コイツ、まさか俺の顔が見えているわけではあるまいな。

 俺の反撃を先回りして、Kは釘を刺して来た。

「ええか? もし誰かに話したら……そのときは」

 無視すればいいものを、思わず聞き返してしまう。

「そ、そのときは?」

 Kの声は重く、冷たく、陰に鈍い光を放った。

「……楽に死ねると思うなや」

 畜生。

 返事の代わりに悪態をつくと、Kは最高に余計なことを思い出した。

「あ、そや。替えのパンツ、忘れんと持ってきてや」

 最後の最後に、一番深刻な案件が待っていた。

 通報どころの話ではない。

 下手をすれば、二度と三ノ宮の街を歩けなくなってしまう。

「やめろ! それだけはだめだ! やめろ! やめてくれ!」 

 恥を忘れて命乞いをしても、スマホは何も答えない。

 我に返って画面を確かめると、そこには通話時間だけが表示されていた。

 好き勝手に頼むだけ頼んで、俺からの上告は阻止か。

 生理用品だけならともかく、替えのパンツだと。

 凡そオタクにとって、量販店以外の服屋は敵地である。

 狭い空間に回遊するリア充、やたらとスカした格好をした店員。

 連中自身にも分からない洋楽と、背中に突きささる敵意の眼差し。

 虚飾に満ちた空間の中で、自分の体だけが違う場所にあるかのような、あの感覚。

 場違いなどという陳腐な単語では、言い表し難いものがある。

 ましてやこれから乗り込むのは、レディース、それもランジェリーショップだ。

 俺が立ち入るとしたら、それはもはや入店ではない。

 完全に侵入である。

 万一入店を拒まれてしまったら。

 いや、実力行使で侵入を阻止されてしまったら。

 明日から、俺は一体どうやって生きていけばいい。

 ポケットにスマホを突っ込み、俺は路地裏を歩き回った。

 Kを見捨てて電車に乗って帰るか、全てを捨てて死地に突撃するか。

 こうして二の足を踏んでいる間も、状況は悪化の一途を辿っている。

 考えていてはダメだ。

 この際パンツのことは忘れろ。

 俺は足を止め、拳を握った。

 ドラッグストアに入るだけなら、何の障害もない。

 まずは一番手前の結び目を解くのだ。

 商店街の入り口を目指して、俺は大股で歩き出した。

 脇の下が汗をかく、こめかみを鼓動が駆け上がる。

 当然だ。

 俺がこれから買いに行くのは、バファリンとソフィサラなのだから。

 そんなものを買う局面がこの人生に訪れるなどと、考えた例もなかった。

 週末を楽しむ人で商店街は溢れかえっていたが、答えが出る程の猶予を与えてはくれない。

 どうやって売り場を探すか、商品を籠に入れるか、怪しまれずにレジを通すか。

 まだ何も決まらないまま、ドラッグストアについてしまった。

 ドラッグストアとは名ばかり。

 店の表に並んでいるのは、美容液とハンドクリーム、ファンデーションにコンディショナー。

 これは殆ど化粧品売り場だ。

 Kの鞄の中身もそうだが、人間よくもまあこれだけ色々な化粧品を思いつけたものだ。

 それを実際使う女がいるわけで、全くもって恐れ入る。

 小さなピンク色の買い物かごを肩にひっかけ、俺は店の中に分け入った。

 この並びはスキンケアとビタミン剤。

 ならば鎮痛剤はどこにある。

 突き当りで隣りの棚を覗くと、そこにはシャンプーが並んでいた。

 鎮痛剤も飲み薬である以上は、化粧品ではなく、風邪薬や便秘薬に混じっておいてあるはずだ。

 俺はもう一つ奥の棚に足を踏み入れ、そして見つけてしまった。

 けばけばしいトイレットペーパーの向う、赤ん坊に混じって、品のよさそうな婆さんが微笑んでいる。

 おむつだ。

 介護用、おむつ。

 立派に大人として生き抜き、子供を無事育て上げたところで、最後に待つのはおむつライフか。

 こういうものを目の当たりにすると、人間が生きることの意味を考え直さざるを得なくなる。

 俺は深く溜息をつき、向かい側にある生理用ナプキンのコーナーを睨んだ。

 問題は、コイツをどうやって清算するかだ。

 なるべく怪しまれないよう、そして絶対に突っ込まれないよう、穏便に、さりげなく、ごくごく自然な様子で渡さなければならない。

 横洩れ防止ギャザーがついて、寝返りを打っても安心な、このナプキンを。

 だが、後一歩、いや、その場でつかめるところまで来て、俺は巨大な障壁に直面した。

 手が上がらない。

 伸ばした手が腕から抜け出し、徒に空を切る。

 凍り付いた俺に気付き、店員の視線が突きつけられた。

 急げ。

 手こずれば手こずるほど、店員の疑惑が深まる。

 落ち着け、生理用品だと、女性用だと思うからいけないのだ。

 こんなものは、おむつに毛の生えたようなものに過ぎない。

 

 そうだ、おむつ。

 俺の頭脳に、天才的なインスピレーションが直撃した。

 おむつでも、用を足せるのではあるまいか。

 無論おむつなのだから用を足せるに決まっているが、糞尿がOKで排卵が駄目だという道理はない。

 そして何より、おむつというものは、コイツはある意味、下着の一種なのだ。

 こんな簡単なことに、なぜ今まで誰も気づかなかったのだろう。

 ひょっとすると、これはちょっとした発見なのではないか。

 俺は握りこぶしを作り、その場で回れ右をした。

 介護用おむつならば、性的な意味合いが若干薄れる。

 いや、俺が買ったとしても、そこまで異常なことではない。

 多少はダサいかもしれないが、Kよ、悪く思うな。

 これが一番単純で、合理的な解決なのだ。

 俺は一番小さなパックを手に取り、両手で重さを確かめた。

 嵩の割には軽すぎるが、紙で出来ているのだからこんなものか。

 これで一件落着だ。

 後はこれをレジに持って行けばいい。

 俺はカゴに紙おむつを放り込み、棚に並んだ紙おむつをもう一度眺めた。

 これで大丈夫だ、何とかなる。

 何とか、なるのだろうか。

 この老人用紙おむつを、Kに渡したとして、アイツは。

 駄目だ、殺される。

 俺は紙おむつのパックをひっつかみ、棚に押し戻した。

 数週間カードを教えてきた今なら断言できる。

 アイツがこれに我慢できるはずがない。

 見栄の塊で実利に疎く、忍耐力はさらに壊滅的だ。

 実に勿体ないが、結局買うしかないのだろう。

 ナプキンと、替えのパンツを。

 なぜだ。

 なぜここまでして、神は俺に試練を課すのだ。

 すでに十分虐げられた俺に、どうしても買って来いというのか。

 神よ、いや、実際の所はKなのだが。

 この報いは、絶対に受けさせてやるからな。