アレクの肩をもった、意外な人物とは……
ニコライの筋書きに、アレクの頼みは入っていなかったようだ。顔を見合わせる隊員たちを、ニコライは片手で制した。
「悪ぃが、そいつは無理な注文だな」
護衛は極めて負担の大きい行動だ。ましてや対象が子供達、それも逃すところから始まるとなると、達成は不可能に近い。
「それはこいつらに犬死してくれって意味だぜ」
ニコライが顎をしゃくると、強張った面持がサングラスに映り込んだ。映ったのが敵の姿だったなら、何であろうと襲い掛かるだろう。これまで恐れどころか、慎重ささえ見せたことがない。その男が、無理だと言っている。秤にかかった命の重みに、たちまち膝が笑い出した。それでも今のアレクには、踏みとどまらねばならない理由がある。
「そこでだ、例えばだけど、子供たちを助けることだけ、他所に任せられないか? 党の中にも、仲間がいるって話だったろ? 信用できる人が、正式に子供たちを拾えるようにするとか……」
頼りない提案に、ニコライが頷く筈もない。
「そもそも、そこまでする理由がねえだろ。アレク、お前、俺たちを慈善団体か何かと勘違いしてねえか?」
アレクには、返す答えがなかった。ニコライ達を動かすだけの実利が、一体どこにあるというのか。ニコライ達の実利。党やユレシュを転覆させるだけの打撃。目的は同じだというのに、アレク達とニコライ達の間には、あまりにも大きな隔たりが横たわっている。力なく下した手は、しかし、思いがけずカルラの筋書きに触れた。
「いや、見返りなら、ある」
実験の証拠を押さえて、保守派の党員を味方につける。外から石を投げるだけでは彼らに止めを刺せないことは、ニコライ達にも分かっているはずだ。
「党内の人間を引っ張り込んだら、流石のイポリートでも隠し通せなくなるだろ? それって、結構致命的じゃないのか?」
アレクを睨み付け、牙を剥きながら、しかし、ニコライは動かなかった。鋭い眼差しだけが、帳の奥に隠れた獲物を探っている。
「……だがな、一体どこが片棒を担ぐってんだ? 国防局の縄張りだ。お気軽に手え出せるもんじゃねえぞ」
カルラの仲間にできないことをニコライ達に頼んでいるのに、できることが前提になっている。あと一歩のところで、思わぬ落とし穴が潜んでいた。一所で回り続ける換気扇の溜息が、コンクリートを震わせる、
「待って、ニコライ。あるかもしれないわ。一つだけだけど……」
助け船は、反対側から漕ぎ着けた。
「……『守る会』なら、興味を示すんじゃないかしら」
エカチェリーナを振り返り、ニコライは鼻を鳴らした。
「それにしたって、足を引っ張らねえとは思えねえ。余計な手間が増えるだけだ」
話がアレクの知らない方へ、ひとりでに歩きだした。
「『守る会』?」
遮られたにも関わらず、エカチェリーナはわざわざ笑顔をかけなおした。
「ごめんごめん、先に言っとけばよかったわね」
反政府組織のうち、最も消極的な団体の一つ、『子供の安全と幸福を守る会』。家族制度の復活を目指し、党内に潜伏しながら合法的に活動しているのだという。ニコライ達とは方針が真逆だが、『守る会』の持ち込む情報はアジートの生命線だ。
「子供が虐げられてるんだから、見過ごせないだろうとは思うの……って言っても、問題はどんな形で協力してもらうかなんだけど」
国防局の管轄に、他の部局が割り込む方法が必要なのだ。実現可能な作戦でなければ、誰も加担しようなどとは思わない。
「味方っても、民間人っしょ? 研究所でドンパチはできねえし」
スキンヘッドの隊員が、テーブルに顎を乗せた。アレクはあまり話したことがないが、確かモーゼスという若者だ。
「そこは警備を陽動するとして、何か口実がないことには……」
一旦作戦会議が始まってしまうと、アレクには出る幕がない。口をはさめないままに隊員たちを見守っていると、ニコライが荒い溜息を吐き出した。
「考えるだけ無駄だ。余計なことはせず、いつも通り爆破して終わらせりゃいい」
かかってるのは、お前らの命なんだぜ。一言で会議が打ち切られ、冷え固まるブリーフィングルーム。換気扇の音だけが深深と降り積もる中、今まで黙り込んでいたイワンが初めて口を開いた。
「火をかければいい」
冷ややかに聞こえる程、その口ぶりは平坦だった。
「山火事なら、護民局や厚生局にも動員がかかるだろう。駐屯地の兵員が消火にあたっている隙に、救助を名目に突入させればいい。連中の構成員がどういう連中か、俺にはさっぱり分からんがな」
あんたなら、多少は知ってるだろう。イワンは鋭い眼差しで猟犬のリーダーを睨んだ。護民局ならカルラの知り合いがいる筈だが、当然アレクに言い出せるわけがない。正解を抱えたまま、アレクは二人の結論を待った。
「何を言い出すかと思えば、ガキ共を助けるのに放火から入るたあな。相も変わらず、血の気の多いオヤジだぜ」
コンクリートを打っただけの薄暗い地下室に、イワンが示した具体案は驚くほど素直に馴染んだ。子供たちを助けるなどという、絵空事よりも、ずっと。それが証拠に、悪態をつきながら、ニコライも反対はしていない。見通しがついたことで、隊員たちの顔つきも幾分明るくなっている。
「いつも通りで結構なことだろう」
イワンはニコライの台詞を返したが、仏頂面では軽口にも皮肉にも聞こえない。二人が脱線させた会議を、エカチェリーナは仕方なく復旧した。
「……どう? 心当たりはある?」
だが、当のニコライはどうか。ニコライが知らなければ、知らないふりをすれば、それで話は終わってしまう。隊員たちの見守る中、リーダーはゆっくりと立ち上がった。
「……そんなことまで知るか。それこそ『守る会』に聞くしかねえ」
ニコライは、短い髪をかきむしった。見返りがリスクを上回ったのだ。これで少しは、作戦の輪郭が見えてきた。勢いづいた隊員たちを振り払い、ニコライは釘を刺した。
「まだやるとは言ってねえ。決めるのは、下調べが済んでからだ!」
ジャンバーの肩をいからせ、ニコライはエレベーターに駆け込んだ。逃げ出したようにも見えるが、間違いない。すれ違った折、一目見ただけでアレクにも分かった。
ニコライの目には、既に敵が映っている。