根性論で頻繁に持ち上がる情景に、料理人の修業というものがあります。
先輩は作り方など教えてくれず、皿洗いをしながら、鍋の底に残ったソースをなめて味を盗まなくてはいけない・・・
でも、これは多分先輩の意地悪ではないのです。
「まなぶ」の語源が「まねぶ」であるというのも、よく聞く話ですね。
真似ることは文字通り学習において最も重要な要素です。
デッキコピーを肯定する根拠としても、「真似る」ことの重要性はよく取り上げられます。
しかし、レシピのとおりにデッキを作る行為は、果たして「真似」と呼ばれるべきでしょうか。
ソースの例に例えるなら、「レシピ」は推理されなければならないのであって、与えられるものではありません。
むしろ、昔堅気の料理人であれば、真っ先にレシピを取り上げてしまうようにも思われます。
手本を再現するためには、ただ忠実になるだけでなく、手本がどのようにして作られたかを想像する必要があります。
このとき、手本を再現することで培われたモノと作り方を結びつける能力が、創作に役立つのです。
定められた目標とは違いますが、新しいソースの味も、実現すべき「目標」であることに変わりはありません。
なめたソースの味からレシピを推理する能力は、理想のソースの味を生み出すレシピを推理する能力でもあるのです。
真似ることの目的が「ターゲットの再現」する能力を磨く事ならば、レシピこそ真似によって作られるべきです。
デッキを作る能力を鍛えるのは、「レシピからの真似」ではなく、「レシピへの真似」に違いありません。
レシピ以外の情報、例えば、戦っている相手のデッキ、横から見ているデッキを、40枚全て言い当てる・・・
ことはさすがに難しいかもしれませんが、後から振り返って、40枚になるように推理しながら再現するのは良さそうです。
デッキを作るだけでなく、相手のデッキを推測する練習にもなるので、プレイングも磨かれることでしょう。
答えを見ずに悪戦苦闘する、その現場から考える力が生まれてくる・・・
本当の意味での真似は、紛れもなく「想像力」の訓練に他なりません。